年始スペシャル:2016年から公有になった作品の著作者

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明けましておめでとうございます。 本年もご愛顧のほどよろしくお願いします。

  1. 2016年から公有になった作品の著作者
  2. テレビに映っているものが分からない
  3. 過疎地こそ「自動運転」が欲しい
  4. 「PVの話をするのはもう止めよう」

2016年から公有になった作品の著作者

江戸川乱歩や谷崎潤一郎って今年からなんだねぇ。 Anne Frank の作品も公有になったようだ。

テレビに映っているものが分からない

年末年始は実家に帰っていたが,実家にはテレビがありテレビを眺めながら暮らしていた。 実家では私にチャネル権はないので,大晦日は必然的に「紅白」を見ることになる1

毎年のことながら「紅白」に出場している人の半分くらいが分からない。 甥姪が好きなアイドルグループも親には馴染みの歌謡曲・演歌の歌手も分からない。 かろうじて分かるのは Perfume と「ラスボス」くらいか。

私以外の家族は彼女等のことを「意味がわからない」と言っていた。

こういうギャップは昔からあるが,単純な世代間ギャップではなく,登場人物の背後にある「文脈」を知っているかどうかがポイントである。 小林幸子が唄ってる時に表示された「弾幕」も文脈を知らない人にはウザい演出でしかないし, Perfume の海外での活躍や卓越した映像技術も知らない人にはただ奇妙なだけである。

むしろ,こういうギャップをごった煮のように混ぜる NHK の度量に感心する。 こういう演出は民放ではたぶん無理だろう。

過疎地こそ「自動運転」が欲しい

これは後で読む。

ところで,歳をとると色々とガタが来るものであるが,日本の田舎は基本的に車社会なので,「歳をとったから自動車運転はやめなさい」というわけにはいかないのが現状である。 ならば自動運転の実証実験は田舎でこそやる意味があると思うのだが,どうだろう。

という話を実家でしていた。

「PVの話をするのはもう止めよう」

PV のような指標が無意味なことは,数年どころか Web 2.0 の頃には既に言われているのに今だこんな議論をしているのは滑稽に見える。 あるいは,いかに Web が進歩していないかという傍証であると思う。 Facebook のコメントに「だって折り込み広告を入れて、それを実際に何人が見たかで課金なんてしてないでしょ?」という意見があったが,全く以ってそのとおりだと思う。

上の記事でも少し指摘されているけど,コンテンツやその周辺で交わされる「文脈」を無視した広告など誰も見ないし,そんな広告が満載のウザいページを見たかどうかなんて情報に意味はない。 PV という虚構に人や金が群がり,釣りコンテンツや無意味にページ分割された報道記事が溢れている現状こそが Web 全体の情報の質を押し下げている。 広告にどれだけお金が流れているかなんて Web においてはまるで自慢にならない。 それはただのテレビの延長にすぎないからだ。

思うのは,文脈を含めたユーザの Activty を測定可能なら,そこに広告を置く必然性はないんじゃないかということだ。 たとえば Intention Economy(意思の経済)と呼ばれるような。 そうなれば広告に依存した Web 2.0 型のマネタイズから脱却できるし,上で例示した下らない SEO も駆逐できる。

まぁそれができないからこの有様なんだろうけど。


  1. 実家では各自で観たい番組を録画しているので,リアルタイムでは「みんなで見る=どうでもいい」番組が優先される。もっとも普段テレビを見ない私には「ニチアサ」以外に「観たい番組」など存在しないのだが。 ↩︎