「キュレーション」じゃなく,はっきり「注目の搾取」と言えよ!

no extension

先週話題になったこの話。

今週も大盛況のようで。 実は私も一度記事を起こしたのだが,結論が「どうでもいいか」になってしまったので一旦お蔵入りにしたのだが,やっぱり時流に乗って大幅に修正して公開することにした(笑)

書き直すきっかけになったのはこの記事。

「1円ライター」ってのは「1文字1円以下という、低単価のブログ記事」のライターを指すそうなんだけど,「1文字1円」なら8K文字で8K円でしょ。 たとえば, WELQ の記事に「1文字1円」の価値があるの? 中身がどうあれ定常的にお金を貰って書いてるのならプロだ(たとえ「刺身タンポポ」でも副業でもね)。 「矜持なきプロフェッショナル」はどこまでも滑り落ちるしかない。 わざわざライターにお金を払ってボランティア・ベースの Wikipedia にも満たない品質しか実現できてないことをライターや運営者はどう思っているのだろう。

ていうか「マガジン航[kɔː]」はこんな記事を出すくらいなら工藤郁子さんの「メディアは(常に)スパムか?」を再掲載すべきなんじゃないのか?

たとえば,私がよく利用する Qiita ではお金をもらって記事を書いてる人は恐らくいない1。 技術関連雑誌で書いてるライターさんもいるようだけど,たぶん金をもらって書いてるわけじゃないだろう。 記事の内容は本当に玉石混交で Qiita 側も(よほど悪質でない限り)殆どコントロールしてないようである。 でも技術系ではこれが普通なのだ,スラドにしても Stack overflow にしても。 その代わりこれらのサービスではユーザ間で記事を評価するシステムが必ずある(うまく機能してるかどうかは別として)。

企業サイトにしろ個人サイトにしろ,読み手から見た記事の評価軸は2つあって,客観的事実に基づいているかどうかと主観(役に立つとか感動したとか)に訴えるかどうかである。 後者の評価は簡単だけど(読み手である「私」がどう思うかだから),前者は事実とされる事柄に対する evidence をとることが難しいことが多い2。 そして spam = 注目の搾取 は主に後者の評価を重視する。

これは新聞に始まり,ラジオ,テレビ,そしてネットへと続く「メディア」が潜在的に抱えてる問題であり,もっと言えば「ジャーナリズム」の本質に関わる問題である。 それを「キュレーション」などという言葉で取り繕おうとするからややこしいことになる3

Facebook で池内恵さんが紹介されていたが,もうひとつ面白い記事があった。

私は DeNA や「南場会長」をよく知らないが,この記事のポイントはこの「南場会長」の発言にあるだろう。

私は日々もちろん情報を探しています。家族の闘病が始まったときから、インターネット情報を徹底的に調べまして、インターネット上の(医療)情報がそれほど役に立たないとか、がんに効くキノコといったような話がでてきて信頼できないと2011年時点で思いました。そして私の情報収集は、論文と、専門家からのレクチャーを受けるということを中心にしていました。ただ毎日、同じ病気の患者さんのブログは毎日チェックしていました。

もう少し整理するなら

  1. インターネット上の(医療)情報がそれほど役に立たない
  2. 情報収集は、論文と、専門家からのレクチャーを受ける(※ 恐らく有料)4
  3. 同じ病気の患者さんのブログは毎日チェック

の3点。 先程述べた2つの評価軸をうまくバランスさせようとするとこうならざるをえないわけだ。 これのどこに「キュレーション」や「メディア」の入り込む余地があるのだろう5

メディア・リテラシーとか情弱(情報弱者)という言葉はすっかり 2ch 用語に成り果てたが(これも一種の spam),もう一度真面目に考えるべき時期に来てるんじゃないだろうか。 正しくない問いをいくつ重ねても正しい答えは導けないよ。

ブックマーク

参考図書

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フィルターバブル──インターネットが隠していること (ハヤカワ文庫NF)
イーライ・パリサー (著), 井口耕二 (翻訳)
早川書房 2016-03-09
文庫
4150504598 (ASIN), 9784150504595 (EAN), 4150504598 (ISBN), 9784150504595 (ISBN)
評価     

ネットにおいて私たちは自由ではなく,それと知らず「フィルターバブル」に捕らわれている。

reviewed by Spiegel on 2016-05-07 (powered by PA-APIv5)

photo
スパム[spam]:インターネットのダークサイド
フィン・ブラントン (著), 生貝直人 (監修), 成原慧 (監修), 松浦俊輔 (翻訳)
河出書房新社 2015-12-25
単行本
430924744X (ASIN), 9784309247441 (EAN), 430924744X (ISBN)
評価     

とりあえず読みづらい。修飾語が多すぎるよ。ギリシア神話かっての。

reviewed by Spiegel on 2016-12-10 (powered by PA-APIv5)


  1. 記事のひとつひとつはお金をとれるクォリティじゃないし。それに Qiita の運営主体である Increments 社のマネタイズは Qiita:Team のほうの筈で,業務の一環として記事を書いてるユーザもまずは Qiita:Team で書くだろう。 ↩︎

  2. だからこそ Facebook や Google などはあんなに苦労しているのである。そういう意味では Qiita は読み手が比較的簡単に評価ができる。だって書かれているコードが動かないなら無価値だもの。 ↩︎

  3. 辞書的な curation の意味は「美術館・博物館などの展示企画」「情報などを特定のテーマに沿って集めること」(「デジタル大辞泉」より)とかいった感じで, curator もそういったものに関わる「専門家」を指す。つまり curator によって構成された「文脈」がとても重要なのだ。 WELQ のようなただの寄せ集めを「キュレーション」などと呼ばわるのは片腹痛いとしか言いようがない。 ↩︎

  4. これは「情報の収集」というよりは「知識の蓄積」と言うべきなんじゃないだろうか。情報は知識をもたらすが知識そのものではない。またネットに溢れかえる有象無象な情報から上澄みの有用なものを濾しとるのは知識の力である。情報は外部からやってくるが知識は自身の内側に蓄積される。故に「情報は広く知識は深く」ということになる。 ↩︎

  5. メディアが専門知識をうまく翻訳していけばいいんじゃない? と思う人もいるかもしれないが,「STAP 騒動」なんかを見るかぎり余程の好条件でないと機能するとは思えない。もちろん,その「好条件」を作り出すには何が必要か,という議論には意味があると思う。 ↩︎