エンジニアこそ「狂狷の徒」たれ

no extension

ここのところ立て続けに「狂」の字を見かけたせいで10年近く前に書いたこの記事を思い出してしまった。

折角なので再構成して再掲載する。 記述は2008年当時のものなので,悪しからずご了承の程を。 古くて切れてるリンクは張り直した。


最近(2008年当時), 時事的なネタ以外で面白いと思っているのが白田秀彰さんの「現実デバッグ」の中の「教育制度批判」シリーズだ。

以前,某 SNS で道徳教育について知り合いと意見を交わしたことがある。 白田秀彰さんの記事は,その時の知り合いの意見とよく似ている。 一方,私はと言えば「美しいフィクション」なんか要らないんじゃないかと思ってたりする。 愛国心なんて犬も食わないようなものは端から捨てて,リテラシーやリスク感覚を身につけるよう義務教育から訓練すべきだという意見。 もちろん,私は私なりに道徳観念や信仰や宗教観のようなものはあるが,それは全て学校外で身に付いたものだ。 学校教育で「それ」をやる必然性はないのだ。

まっ,私の不穏当な意見は置いておくとして,もうひとつ「おおおっ」と思った記事がある。 yomoyomo さんの「情報共有の未来」の記事のひとつ「「自由の真の代償」と「自由の真価」 ― サイバースペース独立宣言を越えて」 で紹介されている以下の記事だ。

内容の全く異なるこれら2つの記事を読んで私は何故か両者に共通するものがあるように感じた。 それは何だろうと考えて「狂狷の徒」というフレーズを思い出した。

狂狷 (きょうけん) 」というのは論語の中に出てくる言葉らしい。 この言葉を知ったのは実はつい最近(2008年当時)で, NHK でやっていた白川静さんの特集番組(白川静さんは2006年に亡くなられているので追悼番組の再放送かな?)をたまたま観ていた時だ。 あとでググってみたら NHK の番組でおっしゃってたこととほぼ同じ内容の記事を見つけた。 以下に少し引用しておく。

孔子様はこう言っとる。「人間というものは中庸を得たものが一番よろしい」と。まあいわゆる聖人ですわな。しかし、「現実にはそんな中庸の人間がおるものではない」と。
それでは中庸の人の次にどういう人がいいかというと、孔子は「狂狷の徒がよろしい」と言うておる。「狂狷は進みて取る」、進取の気性です。世間を変えるには「狂」がなければならない。
そして「狷者は為さざるところあるなり」と。たとえ一億円の金を積まれても、わしは嫌じゃということは断じてせんという、それが「狷」です。
via 学び続ける「狂狷(きょうけん)の徒」たれ : 超健康が夢 院長日記

「教育制度批判」を書いておられる白田秀彰さんも Econimist のあの論説を書かれた方も「狂狷の徒」だと思う。

「世の中を変えたければ自分を変えろ」というのは自己啓発の決まり文句だが,自分を変えるとはすなわち「狂狷の徒たれ」ということだ。 それがどれだけ覚悟のいることなのか,2つの記事は生々しく伝えてくれている。


実は私,この記事についてちょうど1年前にも Facebook の TL で言及していて(ということに今朝気がついた), 私は当時の TL にこう書いていた。

技能(スキル)はものにつく。技術は人につく。
確かに「技術の両義性(両用性)」はその通りだと思うが、技術は最終的に人につく。だからこそエンジニアは矜持を持たなくてはならない。「狂狷の徒」であらねばならない

これは,結城浩さんの以下の tweet に反応したもの。

で,私自身は更にこう呟いていた。

考えてみれば「責任」というのは不思議な言葉だ。もし世界に「私」しかいなければ責任など発生しない。
「私」の他に「あなた」がいて「他者」がいて、それぞれ絡み合って社会を構成しているからこそ「責任」が生じる。「責任」は「社会」と不可分なのである。
責任は背負う(背負わせる)ものではない。責任は引き受けるものである。と言ったのは誰だったか。為政者が全てを背負う(ノブレス・オブリュージュ)時代は近代になって終了した。今は誰もが有限の責任をちょっとずつ引き受けて社会全体として大きなことを成し遂げる時代である。
これこそインターネットの理念そのものではないか。

2008年当時の自分の記事を読んで,あれから10年も経つのに「世の中ちっとも変わらない」気がする。 いや,短期的には時々刻々と変化しているのは間違いないんだけど,大局としては同じところをぐるぐる周り続けている気がして仕方がない。 ハムスターの「回し車」というか,これぞまさに「輪廻」って感じではある。

おそらく,今日明日にも「ネットの中立性」について FCC から何らかの判断がされるだろうし, ICO に群がる蟻の生態を見ていると「また IT バブルか」とウンザリする部分もある。 それでも私たちエンジニアは,前だけではなく,上を向いて螺旋階段を登るべきだと思うのだ。

ブックマーク

(ブックマークは『「ネットの中立性」と「後出しジャンケン」と「多文化主義的メディア」』に移動した)

参考図書

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情報共有の未来
yomoyomo
達人出版会 2011-12-30
評価

同名ブログの書籍化。感想はこちら

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イノベーション 悪意なき嘘 (双書 時代のカルテ)
名和 小太郎
岩波書店 2007-01-11
評価

「両用技術とはどのようなものか。その核心には「矛と楯の論理」がある」(まえがき「予断・診断・独断 そんなばかな」より)

reviewed by Spiegel on 2015-10-01 (powered by G-Tools)

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インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書]
白田 秀彰
ソフトバンククリエイティブ 2006-07-15
評価

著作権とは何か―文化と創造のゆくえ (集英社新書) デジタル時代の著作権 (ちくま新書) 著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」 (集英社新書 527A) 文化のための追及権 ─日本人の知らない著作権 (集英社新書) 「ネットの自由」vs.著作権: TPPは、終わりの始まりなのか (光文社新書)

ライアカ本。 Web 2.0 真っ只中に書かれた本だが,時事的な部分を除けば古びてはいないと思う。

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