『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を読む

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Twitter でこの本が紹介されてるのを見たとき,正直「うーん」な気分だった。 それは,以前に「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトに関するメディア記事を読んで,確率と統計をゴッチャにした雑な説明と「キーワードとパターンで解いている子、読んでいる子が意外にいる」というフレーズに眉を顰めてしまったからだ。 それで書いたのがこの記事。

ただ『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』はプロジェクト当事者の方(数学者)が書かれた本のようだし,情報摂取として読むのなら(235ページ程度なら)丁度いいだろうと Kindle 版をポチったのだが,読んでるうちに「こりゃあかん!」となった。 だって面白いのだ。

『シンギュラリティの神話』を読んだときは徒労感が半端なかったが『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』はすんなり頭に入っていく。 これは,たとえば「シンギュラリティ(Singularity)」という言葉ひとつ取ってもそうで,「シンギュラリティは来ない」という結論は同じでも,そこに至る過程が全く異なる。

最初はサクっと斜め読みしてダラっと感想をアップして終いにしようと思っていたが,途中まで読んで「これはちゃんと読んだほうがいいな」と思い直し,メモを取りながら最初から読み直すことにした1

いや,舐めててマジすんません m(_ _)m

もう AIT でいんじゃね?

私ごときが言うまでもなく,現在において AI (Artificial Intelligence) あるいは人工知能という言葉はバズワードと化している。 したがって AI について真面目に書かれた著作では,もともと目指していた(あるいは理想の) AI とバズワードの AI を区別するところから始めなくてはならない。 面倒だが必要な作業である。

AI vs. 教科書が読めない子どもたち』では AI を「AI 技術」と「真の意味での AI」と分けている。

「真の意味での AI」とは,もともと目指していた(あるいは理想の) AI を指す。

人工知能の目標とは、人間の知的活動を四則演算で表現するか、表現できていると私たち人間が感じる程度に近づけることなのです。

その一方で,現在バズワードと化している AI は「真の意味での AI」を目指す過程で生まれてきた「AI 技術」および「AI 技術」を使った製品・サービスを指す。 「「AI 技術」を使った製品・サービス」は決して「真の意味での AI」じゃないし将来もならない,というのがポイントである2

ただし,この本では「AI 技術」,つまりバズワードの AI を「AI」と略称して使っているそうだ。 タイトルである「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」に含まれる「AI」も実は「AI 技術」を指している。

私はバズワードの AI を「AIT (AI Technology)」と呼ぶことを提唱したい3。 というわけで,この記事ではバズワードの AI を「AIT」と呼ぶことにする。

「東ロボくん」で AIT の限界点を探る

AI vs. 教科書が読めない子どもたち』によると,2011年に始まった「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトの背景には「AIT によって既存の(特にホワイトカラー層の)職業が機械に奪われるのではないか?」という問題意識というか危機感があるらしい。

AIT が人間社会に与えるインパクトを測定するために,まずは AIT の数学的・科学的・技術的な限界点を探る必要がある。 これが「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトの動機になっていて,大学院生を含む延べ百人からの研究者が投入されたそうだ。

この本の1章と2章ではプロジェクトで製作された「東ロボくん」に組み込んだロジックについてかなり詳しく解説されている(といっても非専門家向けにかなり平易な言葉に延ばされているが)。 これだけでもこの本を読む価値があると思う。 つか読みなはれ!

個人的に響いたのは以下の文言だったり。

そこそこのサーバを使って5分で解けない問題は、スパコンを使っても、地球滅亡の日まで解けない

これって現在の AIT の限界を象徴する言葉だよねぇ。 スパコンを非ノイマン装置や(最近またバズってる)量子コンピュータに置き換えても同じ4

『シンギュラリティの神話』のように小難しい哲学用語を駆使しなくても「東ロボくん」を見れば「シンギュラリティなんか起きるわけねぇべ」と自然に理解することができる。

つまり「真の意味でのAI」が人間と同等の知能を得るには、私たちの脳が、意識無意識を問わず認識していることをすべて計算可能な数式に置き換えることができる、ということを意味します。 しかし、今のところ、数学で数式に置き換えることができるのは、論理的に言えること、統計的に言えること、確率的に言えることの3つだけです。 そして、私たちの認識をすべて論理、統計、確率に還元することはできません。

グリゴリに AIT

AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を読んで強く感じるのは, AIT は言わば「強者の武器」だということだ。

「第3次 AI ブーム」は突然ポッと出てきたわけではない。 もちろん流行に関係なく継続的に研究している人もいるけれど,大まかな流れとしては「情報社会」の必然として台頭してきたものだ。 情報ダム兼発電所としての「クラウド」が登場し,その中にいくらでも入る「ビッグデータ」があり,更にそれを活用するのが AIT である5

柔軟性のない機械に、人間並みの物体検出性能を持たせるために必要なもの。 それがビッグデータです。 どれくらい「ビッグ」かというと、百でも千でもありません。 課題にもよりますが、実用を考えた精度を求めると最低でも万、場合によっては億という単位になります。 だからこそ、機械学習の実用化には、デジタルデータがいくらでも低コストで手に入る時代を待たなくてはならなかったのです。

つまり,「クラウド」や「ビッグデータ」というトレンドを通して既に勝ち組になっている人たちが次に手にするのが AIT というわけだ。 まさに「鬼に金棒」。 あるいは「グリゴリに AIT」といったところか。

ということは, AIT が齎すのは単に労働市場の構造変化だけじゃなく,産業構造,ひいては社会構造を大きく変えるものだ,と考えることもできる(この辺の話は第4章に出てくる)。

「人間は「AI にできない仕事」ができるか?」

「東ロボくん」を通じて AIT の限界点が見えてきたところで,次に「AI にできないことを人がどのくらいできるのか」という命題に移ることになる。

一学年に子供の数は約100万人。 半分の約50万人がセンター試験を受験します。 その上位20%に東ロボくんが入ったのです。 ホワイトカラーを目指す若者の、中央値どころか平均値をAIが大きく上回った。 この先、労働市場はどうなるのか。 どうすれば、当ロボくんに負けた80%の子どもたちに明るい未来を提供できるのか。

この辺については『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の第3章に書かれている。 この本のメインディッシュは第3章と言えるだろう。

この命題を研究するために「リーディングスキルテスト(RST)」を開発し中高生を中心に「基礎的読解力調査」を実施したそうだ。 RST は AIT が苦手な分野である「文章を読んで内容を理解する」すなわち「基礎的読解力」を見るテストらしい。

RST の開発過程やその調査結果については『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の第3章に詳しく書かれているのでそちらを参照していただくとして,簡単なまとめだけ以下に紹介しておく。

  • 中学校を卒業する段階で、約3割が(内容理解を伴わない)表層的な読解もできない
  • 学力中位の高校でも、半数以上が内容理解を要する読解はできない
  • 進学率100%の進学校でも、内容理解を要する読解問題の正答率は50%強程度である
  • 読解能力値と進学できる高校の偏差値との相関は極めて高い
  • 読解能力値は中学生の間は平均的に向上する
  • 読解能力値は高校では向上していない
  • 読解能力値と家庭の経済状況には負の相関がある
  • 通塾の有無と読解能力値は無関係
  • 読書の好き嫌い、科目の得意不得意、1日のスマートフォンの利用時間や学習時間などの自己申告結果と基礎的読解力には相関はない

誤解する馬鹿がいるといけないので念の為に言っておくと,「相関関係」と「因果関係」は別ものだからね。

個人的には読書の好き嫌いが基礎的読解力と相関しない(だろう)というのは痛快だったかな。 何故か日本人って本を(知識や教養の象徴として)異常に神聖視するよね。 そういう下らない信仰はもう止めていただきたいものである。

私はよく「数学の問題を解くのに公式の暗記から始める人はプログラマには向いてないので諦めた方がいい」と言っているが,プログラマなどという狭い範囲ではなく,これはもう日本の労働市場全体に関わる懸案事項と言えるかも知れない。

思い出してください。 フレームが決まっているタスクはAIが最も得意とする作業です。 そのような能力は、人間より遥かにスピードが速く、エラーも少ない、そして何よりも、安価なAIに代替されてしまいます。

基礎的読解力を上げる処方箋はない

AI vs. 教科書が読めない子どもたち』では基礎的読解力を上げるための万能薬のようなものは今のところ見つかっていないとしている(研究はされているらしい)。

AI の読解力,人の読解力」でも書いたが,私は「理解はプロセス」だと思っている。 基礎的読解力については,本当はたぶん「文章を読んで内容を理解する」のではなく「文章を読むことと何かを理解することをリンクさせる」ことが重要なんじゃないのかな。

そういえば,私は「数学ガール」の結城浩さんの Twitter アカウントを(主に情報摂取の目的で) follow しているのだが,彼のところに来る「数学の授業が分からないけどどうしたらいいか」みたいな質問に対して「学校の先生に聞きなさい」と返されているのをよく見かける。 これって当たり前だけど重要な事だと思う。

人は社会的動物なのだから理解への起点は対話であるべきだ。 その上で「文章を読む」ことが対話の延長であることに気づけばしめたものである。 プログラミング言語を習うのとは違うのだ。

「AI 世界恐慌」は来るか

AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の第4章では「最悪のシナリオ」という見出しで色々と未来予測をされているが,個人的にはあまり心配していない。 心配していないというのは「大丈夫だ」という意味ではなく「なるようにしかならない」という意味だ。 「AI 世界恐慌」は来るかもしれないが,だからといってどうしろというのだ。

既に日本は,人口問題にしても科学技術の分野でも,国家間の「国力を競うゲーム」から降りつつある。 この上 AIT 時代に不適応と言われたところでどうしようもない。 というか,生き延びたいなら(できようができまいが)自分で何とかするしかないのだ,結局のところ。

自分でどうにかするしかないほど日本という国が衰退しているということでもあるのだが。 今なら「キャプテンハーロック」の気持ちがよく分かるよ(笑)

まぁ,当面は「AI 世界恐慌」よりも「仮想通貨」バブルがいつ弾けるかのほうが切実だと思うけど。

ブックマーク

参考図書

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AI vs. 教科書が読めない子どもたち
新井 紀子 (著)
東洋経済新報社 2018-02-02 (Release 2018-02-02)
Kindle版
B0791XCYQG (ASIN)
評価     

4章以外は面白かった。感想文はこちら

reviewed by Spiegel on 2018-02-11 (powered by PA-APIv5)


  1. 本を読みながらメモを取るなら Dynalist がおススメ。 ↩︎

  2. これってたとえば,暗号技術を使っているだけで暗号そのものとは何の関係もないのに「暗号通貨(cryptocurrency)」などと呼んだりするのと構造が似ている。 ↩︎

  3. ほら,お役所がバズワードの IT を更に ICT などと呼ばわったり,ただの組み込みネットワーク技術を IoT などと如何にもそれっぽく呼んだりするのと同じだよ(笑) ちなみに,このブログの他の記事ではバズワードの AI を「スマートな機械」と呼んでいる。 ↩︎

  4. 量子コンピュータの現状については「量子コンピュータの挑戦: スーパーコンピュータに勝てるだろうか?」が参考になる。 ↩︎

  5. ただし,単にデータが多いだけではダメらしい。この辺のことは『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』第2章で解説されている。 ↩︎