「少子化」に関する覚え書き(再掲載)

no extension

この記事は2014年末に書いた本家ブログの記事「「少子化」に関する覚え書き」を再構成して掲載している。 ちなみに2015年までの合計特殊出生率は僅かに上昇傾向だった。 この辺の話も追記している。

  1. 「少子化」とは
  2. 「少子化」で何が起きるか
  3. 【追記】近年の出生率の傾向
  4. 「少子化対策」ではなく「少子社会」を前提とした「育児支援」を

「少子化」とは

そもそも「少子化」とは何を指すのか。

Wikipedia の記事を見ると「少子化」という言葉は結構多義的である。

  1. 出生数が減少すること
  2. 出生率の水準が特に人口置換水準以下にまで低下すること
  3. (高齢化の対義語として)子どもの割合が低下すること
  4. 子どもの数が減少すること

用語を補足しておくと,「出生率」というのは「合計特殊出生率(Total Fertility Rate; TFR)」を指すと思われる。 概念的には「一人の女性が一生に産む子どもの平均数」と考えてよい。

この合計特殊出生率が特定の水準以上に維持されれば長期的に人口が安定する。 この水準を「人口置換水準(Replacement-level Fertility)」と言う。 直感的に人口置換水準が2程度だと気付くと思うが,実際には2.08程度(国連では2.1を提示している)と2より少し大きい値になる。

この記事では「少子化」を「合計特殊出生率が人口置換水準を大幅に下回る期間が長く続くこと」と定義しポイントを絞ることにする。

合計特殊出生率と期間合計特殊出生率

実際の統計に使われているのは「期間合計特殊出生率」と呼ばれるもので,女性が出産可能な年齢を15歳から49歳と規定し,それぞれ年齢の出生率を足し合わせる。 数式で表すなら,年齢 $x$ の女性の数を $g(x)$,その女性たちが1年間に産んだ子供の合計を $f(x)$ とすると

\[ \mathrm{TFR} = \sum_{x=15}^{49} \frac{f(x)}{g(x)} \]

と表される。 期間合計特殊出生率のほうが出生率の推移を年単位で把握しやすいため,こちらの値が使われるようだ。

「少子化」で何が起きるか

(長期的に見て)人口が減少する

人口の減少は端的に国力の低下を意味する。

実は(短期的には)合計特殊出生率は出生数と連動しているとは限らない。 現に「第二次ベビーブーム(1960-1973)」のときは(丙午となる1966年を除いても)合計特殊出生率の上昇はほとんどなかった。

でも長期的に見れば出生率低下によって出生数は減少するし,最終的には人口も減少する。

ちなみに日本では1974年に初めて合計特殊出生率が人口置換水準(2.08)を割り込み,その30年後の2005年以降「人口減」に転じている(一方,合計特殊出生率は2005年を底にから2015年までの間少しずつ回復していたが,その後また減少し始めている。これについては後述する)。

世代間の人口バランスが変化する

「世代間の人口バランスの変化」は社会福祉の構造変革を要求する。

世代をものすごく大雑把に分けると就労年齢前の「児童」と実際に働いている「就労者」とリタイア後の「高齢者」に分かれると思うが,社会福祉を必要とする「児童」および「高齢者」はどちらも多すぎると「就労者」に過大な負荷がかかる。 「第二次ベビーブーム」の1970年代に日本が少子化を進める政策を行ったのはこのような背景がある(当時は「人口爆発」という言葉もリアルだった)。 もちろん今は状況が反転している。

「少子化」は相対的に「高齢化社会」の要因になる(もちろん社会が安定し,医療等の文明レベルが高いことが条件だが)。

【追記】近年の出生率の傾向

2014年の合計特殊出生率

2014年の合計特殊出生率は 1.42 と僅かに下がった。 これは若い世代で下がり続ける出生率を30歳以降の先行世代の出生率で賄いきれなくなったことによるらしい。

2015年の合計特殊出生率

2015年の合計特殊出生率は 1.45 となり2013年の値をも上回った。 出生数も前年を僅かに上回った。

2016年の合計特殊出生率

2016年の合計特殊出生率は 1.44 と僅かに下がった。 これは30歳代前半までの出生率が一様に落ちてきたためらしい。

2017年の合計特殊出生率

2017年の合計特殊出生率は 1.43 とまた僅かに下がった。 理由は2016年のときと同じ。

2018年の合計特殊出生率

2018年の合計特殊出生率は 1.42 とまた僅かに下がった。 理由は2016年のときと同じ。

2019年の合計特殊出生率

2018年の合計特殊出生率は 1.36 と更に下がった。 理由は2016年のときと同じ。

「少子化対策」ではなく「少子社会」を前提とした「育児支援」を

「少子化」は(おそらく)解消しない

社会が安定し人々の経済レベルや教育レベルが向上すれば合計特殊出生率が下がるのは必然と言える。 また,個人主義が進めば結婚・出産・育児が高コストかつ高リスクに見えて当然である。 これを非難することはできない。 近代先進国や新興国では,アメリカ1 とフランス2 が例外的に2以上あることを除けば,多くは2未満(つまり人口置換水準以下)である。

したがって政策としては

  1. 「少子社会」を前提とした(つまり世代間の共依存関係を断ち切った)社会福祉に切り替える
  2. 合計特殊出生率を下げる要因を排除する

くらいしかない。

注意しなければならないのは,これは「合計特殊出生率を上げる」政策ではないということだ。 日本でアメリカやフランスの真似をしてもおそらく同じ結果にはならない。 もしかしたら合計特殊出生率を多少引き上げるかもしれないが,たとえば1.4が1.8になったからといって人口置換水準以下であることには変わりないのだ。 ならば「少子化の解消」を政治目標として掲げるべきではないし,それを掲げる政治家は嘘つきである。

実は,日本の合計特殊出生率は2005年の 1.26 を底として少しずつ回復している。 2013年には 1.43 まで回復した。 しかし出生数も人口も依然減り続けていることには変わりない。

近年,合計特殊出生率が回復している背景には高齢出産の増加があるらしい。 20歳代の出生率は下がり続けているが,それ以降の世代は上がっている。 社会的要因としては晩婚化(とそれに対する社会的受容の変化),医療技術の進歩が挙げられるかもしれない。

人口の減少および人口バランスの悪化を解消したいのなら「少子化対策」を当てにすべきではない。 これを政治問題として解決したければ「人の流動化」を促進し外部から人を入れるしかない3

「少子社会」を前提とした「育児支援」を

「育児支援」は「少子化対策」の手段のひとつとして挙げられるが,これまで述べたように「少子化」を政治的に解消できないのであれば,「少子社会」を前提とした「育児支援」こそが政治目標になるべきである。 もう「少子化対策」は忘れよう。 育児支援の方法としては結婚・出産・育児のコスト(金銭的なコストだけじゃないよ)とリスクを下げる政策を行う必要がある。

一番下策なのは「現金をばらまくこと」である。 「お金」は価値可換である。 育児支援でもらったお金を育児に使うとは限らないし(貧困であるほど)そうした目的外の使用を非難することはできない。 まず自分が生き残らなければならないし,一度現金をもらう習慣がついてしまうとそこから抜け出すのは容易ではない。 価値を与えるのであれば「育児」そのものが価値となるような政策を執る必要がある4

親はなくとも子は育つ?

富裕層は経済力を背景に出産や育児にかかるコストやリスクを分散・回避している。 一方,貧困層はこのようなヘッジができず,出産や育児にかかるコストやリスクが全て親にのしかかる。

昔は「親はなくとも子は育つ」という格言(?)があった。 もちろんこれを言うためには前提条件がある。

かつて田舎では血縁・地縁コミュニティが寄ってたかって育児をするという暗黙的なシステムがあった。 これによって親は出産や育児にかかるコストやリスクを分散・回避できる。 古いコミュニティは密着型・相互監視型の性格を持ち批判も多いが,こういう面もあることは確かだ。 しかし,特に都会に於いては血縁・地縁コミュニティは崩壊しているといっていいし,今さら昔に戻すことなどできない。 暗黙的なシステムがないのなら,血縁・地縁を超えた,明示的な育児システム(コミュニティ)を構築するしかない。

日本社会が「生きづらい」と感じるのなら,それは個人に無限の責任を背負わせることにあるからでは,と思う。 本来「責任」というのは「引き受ける」ものであって「背負わせる」ものではない。 誰もが有限の責任をちょっとずつ引き受けることで社会全体として大きなことができるようになる。 出産・育児は社会にとってとても重要な要素であり,それだけに個人で背負いきれないのは当然と言える。

参考文献

参考になるページ

参考図書

photo
排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異
ジョック ヤング (著), Young,Jock (原著), 秀男, 青木 (翻訳), 泰郎, 伊藤 (翻訳), 政彦, 岸 (翻訳), 真保呂, 村澤 (翻訳)
洛北出版 2007-03-01
単行本
4903127044 (ASIN), 9784903127040 (EAN), 4903127044 (ISBN)
評価     

感想はこちら

reviewed by Spiegel on 2015-10-31 (powered by PA-APIv5)


  1. アメリカの合計特殊出生率は主にヒスパニック系の人たちによる貢献が大きいようだ。逆に非ヒスパニック系白人やアジア系の人たちの合計特殊出生率は人口置換水準を下回っている。 ↩︎

  2. フランスの合計特殊出生率は1995年に 1.65 まで下がったが,福祉制度の改善や出産・育児を優遇する税制の導入することにより,2006年に 2.01 まで回復した。ただし,フランスの場合は事実婚やひとり親家庭に対して社会が寛容であることと,そういった親たちを支援する形で労働環境や法制度が整備されていることが社会背景としてある。 ↩︎

  3. これってぶっちゃけ「移民」を許容するってことなんだけど,「移民」に対して批判が多いのは承知しているし,移民とうまくやってる国のほうが少ないってのも承知している。また外部からの人を受け入れるということは,外部へ出ていく人も許容するってことでもある(これがまた別の移民問題を引き起こす)。しかし内部で調達できないのなら外部から調達するしかないし,外部調達もダメだというのなら「国力」を競うゲームから降りるしかない。まぁ私個人としては無理スジなゲームからは降りるほうが賢明だと思うけどね。アメリカのエスニック・グループの問題および欧州(とくにイギリス)の移民問題に関してはジョック・ヤングの『排除型社会』とその続編の『後期近代の眩暈』に詳しく解説されているので是非お勧めする。 ↩︎

  4. てな話になるとすぐ「民衆を啓蒙していかなければならない」とかいうバカ政治家が出てくるのが困りモノだが。念のためにいうと,貧困層に対して生活支援や貧困からの脱出を支援していくことを否定しているわけではないよ。これらはまた別の問題である。 ↩︎