『猫暦』を読んだ

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最初に。 長谷川一郎先生が亡くなられたそうです。

合掌。

さて『猫暦』の話。 「ねこよみ」と読むらしい。

実は2月頃に Facebook の天文関連のグループで紹介され, Kindle 版が出てたのでソッコー買ってしまった。 舞台は江戸時代でいわゆる「寛政の改暦」のころの話である。

日本人の手による最初の暦「貞享暦 (じょうきょうれき) 」については『天地明察』が映画化されたのでご存じの方も多いだろう。 「寛政暦 (かんせいれき) 」はそこから更に時代を下っている。

簡単に背景を説明しておくと,まず17世紀から「和算家」が台頭し始める。 彼等は中国から来る暦の研究にも熱心だった。 この辺から「日本発の暦」の機運が高まってくる。

そうしていよいよ貞享暦が登場するわけだが,貞享暦の暦法は中国の「授時暦 (じゅじれき) 」がベースになっている。 授時暦に対して基準地の変更(北京から京都へ)や消長法のパラメータを弄ったりして手直ししたのが貞享暦である。 もうひとつ貞享暦には歴史的トピックがある。 それまで暦の編纂は陰陽頭である土御門家の独占だったが,貞享暦によって初めてその実権が幕府側(天文方)に移る。 暦の支配は権威としても実利としても大きな利権を伴うものであり,以後明治になるまで朝廷側と幕府側の綱引きが続けられる。

貞享暦以後は人材不足により幕府側の力が弱まる。 これにより貞享暦の次の「宝暦暦 (ほうりゃくれき) 」では再び土御門家が実権を奪い返す。 幕府側はこれを取り戻すため市井の天文暦学者「麻田剛立 (あさだごうりゅう) 」一門に改暦の要請を行う。 実際には麻田剛立の弟子である「高橋至時 (たかはしよしとき) 」と「間重富 (はざましげとみ) 」がこれにあたった。

『猫暦』の主人公のひとりである「伊能勘解由 (いのうかげゆ) 」(伊能忠敬のこと)は高橋至時の弟子である。

寛政暦の特徴のひとつは西洋の天文学の知見を取り入れたことである。

宝暦暦の前,時の将軍徳川吉宗は天文暦術に関心が高かったらしい。 更に禁書令が緩められキリスト教に関係ない書籍なら輸入できるようになった。 ただし先ほど書いたように天文方の人材不足や徳川吉宗の急死などにより宝暦暦では西洋の知見を取り入れることができなかった。 宝暦暦は貞享暦(実質は授時暦)のパラメータを多少弄っただけのものだったようだ1

これに対し,寛政暦ではティコ・ブラーエの理論体系が全面的に取り入れられた(ただし太陽と月に関してはケプラーの理論大系が用いられた)。 当時はまだ日本では地動説は一般的ではなく,ケプラーの理論大系を著した「暦象考成後編」では地動説が明記されていなかった2。 本格的に地動説や万有引力の法則に基づいた3 暦は天保暦までお預けになる。

天文好きは概ね2種類に大別できるそうだ。 ひとつは「観測屋」でもうひとつは「計算屋」である。 私はどちらかというと「計算屋」なので,こういう暦の話はワクワクしてしまう。

さて,これからおえいちゃんはどうなるのか。 続きが楽しみであります。

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猫暦(1) (ねこぱんちコミックス)
ねこしみず美濃 (著)
少年画報社 2014-10-14 (Release 2016-02-15)
Kindle版
B01BHGVLOY (ASIN)
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「寛政の改暦」のころの伊能勘解由(忠敬)とその妻とされる「おえい」の物語。感想はこちら

reviewed by Spiegel on 2016-05-06 (powered by PA-APIv5)

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暦の大事典
岡田 芳朗 (編集), 神田 泰 (編集), 佐藤 次高 (編集), 高橋 正男 (編集), 古川 麒一郎 (編集), 松井 吉昭 (編集)
朝倉書店 2014-07-29
大型本
4254102372 (ASIN), 9784254102376 (EAN), 4254102372 (ISBN)
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古今東西の暦について網羅されている。結構なお値段だが図書館で借りて読んだ。

reviewed by Spiegel on 2016-05-05 (powered by PA-APIv5)

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天地明察 上 (角川文庫)
冲方 丁 (著)
KADOKAWA 2012-05-25 (Release 2012-09-01)
Kindle版
B0095OEG3Y (ASIN)
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日本人の手による初の暦「貞享暦」の中心人物である渋川春海の物語。安売りしてたので買ったが,実は途中までで積ん読状態。

reviewed by Spiegel on 2016-04-17 (powered by PA-APIv5)

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天体軌道論
長谷川 一郎 (著)
恒星社厚生閣 1983-01-01
単行本
4769903251 (ASIN), 9784769903253 (EAN), 4769903251 (ISBN)
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学生の頃はめっさお世話になりました。私にとって大事な教科書のひとつです。

reviewed by Spiegel on 2019-10-29 (powered by PA-APIv5)


  1. 授時暦は中国の暦の中でもかなり性能の良い暦だったらしい。しかし日食などの暦象の予測は不得手だったようで,これを度々外していたため評価が低かった(当時の暦は暦象の予測精度が評価基準)。貞享暦の中心人物である渋川春海は授時暦に傾倒しこれを推すが,先に述べたように暦象の予測精度がよくなかったため採用されなかった。これが「日本人の手による暦」への直接的な動機となる。宝暦暦もベースは授時暦であり暦象の予測精度が悪いのはある程度仕方のなかったとも言える。もっとも宝暦暦の評判が悪かったのはそれだけではないが。 ↩︎

  2. 「暦象考成後編」はイエズス会の宣教師主体で作成されたものなので,地動説を安易に認めるわけにはいかなかったのだろう。 ↩︎

  3. 寛政暦が完成した直後から次の改暦に向けた作業が始まったらしい。具体的にはフランスのラランデが著した “Astronomie” (の蘭訳)の翻訳作業を高橋至時およびその息子たちが行い,その知見を元に天保暦が作られた。ちなみにラランデは1758年のハレー彗星回帰を予測したことで有名である。 ↩︎