鬼ごっこと責任転嫁と人身御供

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(この記事は Facebook の TL に書き殴った内容の再掲載です)

「回答」をページネーションされた最後のページに持って来る文章構成上のえげつなさも併せて,なかなかに面白い。

随分昔の若い頃に読んだ内容で,うろ覚えで申し訳ないが,「日本人」のこの気質のようなものを「鬼ごっこ」に喩えた人がいた。 「鬼ごっこ」というのは要するに「誰かを鬼に仕立て上げる」遊びである。 仕立て上げる鬼は誰でもいいし他者に簡単に転嫁することもできる。 転嫁する相手として遊びに加わっていない人を巻き込むこともあるし,もっと言えば人間である必要すらない。

ありもしない「責任」をでっち上げて誰かに(または何かに)押し付ける行為というのは正に「鬼ごっこ」そのものである。 「鬼ごっこ」をやっている間は現実を見ないで済むが,本当の問題はいつまでも先送りされる。

「責任」を「穢れ」という言葉に置き換えれば,この行為の構造が分かりやすくなるかも知れない。 つまり,先の記事で言うところの「日本人」にとって「責任」とは「穢れ」と同義であり誰かに転嫁せずにはいられないものなのだ1

「穢れ」を押し付けた相手を殺す行為を「人身御供」と言う。 人身御供を行なう相手は他所者か真面目な人格者が望ましい。 そのほうが「穢れ」がより強調されるからである。

そういう視点で近ごろ日本で騒がれている幾つかのゴシップを見れば,それらが極めて宗教的な「儀式」であると分かる。 狂信的とすら言っていいと思う。 こうした輩からは「逃げるに如かず」だ。

そういえば「日本人」のこうした気質を「日本教」とラベリングした人がいたな。 言い得て妙である。

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いかにして問題をとくか
G. ポリア (著), Polya,G. (原著), 賢信, 柿内 (翻訳)
丸善 1975-04-01
単行本
4621045938 (ASIN), 9784621045930 (EAN), 4621045938 (ISBN)
評価     

数学書。というか問いの立てかたやものの考え方についての指南書。のようなものかな。

reviewed by Spiegel on 2014-09-26 (powered by PA-APIv5)


  1. もちろん全ての日本人がそうであるなどと言うつもりはない。しかし「声の大きい」人たちにそういう傾向があるとは言ってもいいんじゃないだろうか。 ↩︎