「城と城下町—出雲の戦国時代—」を聴講する

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先月に引き続き「島根の歴史文化講座」の聴講のため松江テルサへ行く。

その前に腹ごしらえ。

聴講前に腹ごしらえ | Flickr

城と城下町—出雲の戦国時代—

今回の第2講は「城と城下町—出雲の戦国時代—」ということで,安来市にある月山富田城を中心としたお話。 時代としては中世(〜室町・戦国時代)から近世(安土桃山・江戸時代〜)に移るあたり。 安土桃山時代は近世にカテゴライズされるんだな。 江戸時代からが近世だと思ってた。

実は私,中世以降の日本史はよく分からんのよね(世界史はもっと分からん)。 出雲地方の戦国時代の話にしても毛利が尼子を打ち破ったくらいの大雑把な理解しかない。

いただいた資料とノートに書いたメモを元に「出雲の戦国時代」について富田城を中心に簡単にトピックを挙げると

  • 1565年,毛利元就が富田城の攻略を始める
  • 翌1566年に尼子義久が降伏し富田城を開城する。その後も尼子側は富田城を取り戻すために頑張るけど,最終的に尼子氏は滅びる。
  • 毛利元秋が富田城にて没した後,1591年に吉川広家が富田城に入る
  • 関ヶ原の戦い(1600年)の後,吉川広家は周防岩国に転封となり,代わりに堀尾吉晴・忠氏親子が入城する
  • 堀尾忠氏没後の1611年に居城を松江城に移す
  • 大阪夏の陣(1615年)の後,一国一城令が出される
  • 1666年,松平氏により広瀬藩が成立するも富田川(現在の飯梨川)の洪水で富田城下町が水没する

という感じらしい。 これを踏まえて話を進めよう。

富田川河床遺跡

最初の講演は1666年に水没したという城下町が発見され発掘調査が行われたという話(昭和49年〜昭和63年)。

富田城跡のある月山の麓の飯梨川河床には水没した城下町の遺跡があるだろうとは前々から言われてたらしい。 上流にダムができて水量や流れてくる砂が減ってきて遺構があらわになったことで本格的に発掘調査が始まったそうだ。 有名なところでは石見銀山産の切銀とか出てきたらしい。

こういう話を聴くとまた月山行ってみたくなるねぇ。 前に行ったときは本丸まで登って,その後は猫溜まりで野良猫と戯れて終了だったが,次に行く機会があればもう少し下調べしてから行きたいものである。

できれば月山の麓までは自転車で行ってみたい。 いつかね。

城跡調査から尼子・毛利の攻防をさぐる

2番めの講演は城跡調査の話。

特に月山富田城跡と飯梨川を挟んで毛利側が展開したとされる京羅木山を中心とした山城群の城跡の話は面白かった。 城跡調査から京羅木山を含む周辺の山の尾根という尾根に陣城を構築してたようで,富田城から見れば対岸の山が全て城になってるように見えただろうという話だった。 また京羅木山の山城群は西からの補給路を断つ役目も負っていたとされ,物凄い城攻めだったんだろうなぁ,と想像してしまった。

島根県内には大小合わせて1,200くらいの山城跡が見つかってるそうで,まだまだ増えそうな感じらしい。 でも急峻な山の上にあることが多く,シロートがピクニック感覚で行くのは無理ぽい感じ。

自転車でちょろんと行ってみるってのは無理だろうなぁ。

帰るか

予定通りの時間に終わって外に出ると今にも雨が降り出しそうな空。 んー。 ここは寄り道せずにまっすぐ帰ろう。

今日の宍道湖 | Flickr

おつかれさまでした。

参考

photo
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評価     

Rollbahn と HAYAKAWA FACTORY のコラボ。ホームズデザインということで衝動買いした。

reviewed by Spiegel on 2024-08-02 (powered by PA-APIv5)