AI バブルの終焉,人力コーディングの終焉
AI バブルの終焉
今は間違いなく「AI バブル」であり,過去の AI の流行とは明らかに様相が異なる。 メモリやプロセッサの品不足&価格高騰は,かつて日本で起こった不動産バブルで我々庶民が地上げ等の被害にあった状況を彷彿とさせる。
SF 作家で,造語 “enshittification” の発明者で,そのほか様々な肩書を持つ Cory Doctorow さんは今年の夏(2026-06-23 頃?)に AI に関する本を出されるそうで
- The Reverse Centaur’s Guide to Life After AI: How to Think About Artificial Intelligence Before It’s Too Late | Verso Books
- Amazon.co.jp: The Reverse Centaur’s Guide to Life After AI: How to Think About Artificial Intelligence—Before It’s Too Late (English Edition) 電子書籍: Doctorow, Cory: Kindleストア
これに関するプロモーション記事(?)の翻訳が p2ptk.org で公開されている1。 これがなかなか面白かった。
- AI(経済)黙示録――AIバブルの崩壊はもはや避けられない » p2ptk[.]org
- 2兆ドルの問い:AIバブルの崩壊後、何が残されるのか? » p2ptk[.]org
- 「いずれAIに使い潰される人」のためのAI批判ガイド » p2ptk[.]org
ある若者がこんなことを言った。「つまり株式市場の3分の1が、利益を出す見込みのない7つのAI企業に縛られている。これはバブルであり、崩壊すれば経済全体を道連れにする、ということですか?」
私は答えた。「ええ、その通り」
「でも、暴落に対して我々に何ができるんですか?」 彼は明らかに深刻に心配していた。
「それについては、もうどうしようもない。すでに確定してしまった。もし別の政権であれば、雇用保証制度に資金を投じて危機を脱するかもしれないが、トランプがそうするとは思えない――」
コーネル滞在中、大学のAI戦略の責任者の一人が、大学としてAIについて何をすべきかと尋ねてきた。私は、バブル崩壊後に残される生産的な残滓を吸収する計画を立てるべきだと答えた
https://locusmag.com/feature/commentary-cory-doctorow-what-kind-of-bubble-is-ai/
GPUを10分の1の価格で買え、熟練した応用統計学者を買い手市場で雇え、ほとんど最適化されておらず膨大な改善の余地を持つ極めて有望なオープンソースモデルが大量に転がっている――そんな未来に備えるのだ。
いやぁ,早くバブルが弾けてくれんかねぇ(笑) メモリが高くて買えねーよ! 日本の不動産バブルが弾け地上げ屋がいなくなった土地は,空き地か空き家か駐車場ばかりが広がる荒野と化したけどね。
AIについて最も重要なのは、その技術的な能力や限界ではない。最も重要なのは、投資家向けのストーリーとそれに続く熱狂が、何億人、あるいは何十億人もの人々を傷つける経済的大惨事への準備を整えてしまったということだ。AIが目覚めて超知能になり、あなたをペーパークリップに変えるようなことはない――だがAI投資病に罹った富裕層が、あなたをはるかに貧しくすることは、ほぼ確実である。
さて,どんな本になるやら。 邦訳版を期待したい。
人力コーディングの終焉
話かわって…
私事で恐縮だが,私の座右の銘としているフレーズのひとつが
理学は、真理の探究であり、工学は善の実現である。そして、藝術は美の表現である--これで所謂「真美善」が揃う
である。 でも「善の実現」というのは案外に難しい。
何を以って「善」とするのか。 そもそも誰にとっての「善」なのか。 そして,これを決めるのはいつだって人間の仕事である。 何故なら私達は人間社会に生きているのだから「善」は人間社会の中にしかない。
この辺のことを考えるにあたって面白かったのが yomoyomo さんの以下の記事。
ソフトウェア・エンジニアにとって,生成 AI が人間の仕事を肩代わりしてくれるのは本当に助かる。 世間が「機械が人間の仕事を奪うのではないか」と憂慮するのとは対象的である2。
他のクリエイティブ分野では、LLM が仕事の中で最も人間らしい部分を奪い、単調な作業だけを残すのに対し、コーディングの世界では、LLM が単調な作業を奪い、人間らしい、魂のこもった部分を残してくれるというわけだ。
[…]
ベテランプログラマーは、何十年もかけて「良質で効率的なコードとはどんなものか」について確かな感覚を培ってきたからこそ、自信をもって AI を活用でき、エージェントが作成したコードの問題をすぐに見抜けるわけで、次の世代の開発者はコードに対するその直感的な感覚を養うことができるか、という問題は残る。
じゃあ「次の世代の開発者」はどうすればいいのか。 これは私の周辺でも昨年辺りから議論されている。 私のようなロートルの古い就業経験はあまり役に立ちそうもない。 前提が違うのだから。
現在プロのコーダーが感じる高揚感と不安に入り混じった感情は、他の分野にも当てはまることで、言語と情報を扱う仕事であれば、レトリック、システム思考、そして AI の出力に対する懐疑心の組み合わせこそがホワイトカラーの仕事の基盤になり、もっとも技術的に難解に見えたスキルこそがもっとも容易に自動化され、我々の仕事は「評価」に重きを置くようになる、というのはそうなんだろうな。
技術が「人」に付く(身に付く)のに対し
以上を踏まえて「AIが可能にする新たなアプリケーションの予兆」を読むと更に面白い。
重要なのは、こういうアプリケーションができたおかげで、我々は皆一年前なら手を出そうとも思わなかったようなソフトウェアを書いている、ということ。上に名前を挙げたプロジェクトは、これから何が可能になるかを垣間見せるものであり、ソフトウェア開発の未来に向けた概念実証(proof of concept)だとルキダスは捉えている。
これって工学者というより理学者の発想だよなぁ。 まぁ,そもそも AI は数学で知性を記述できるのかって話だし。
同じことを何度も書いて恐縮だが,現時点において「自律機械」は存在しない。 生成 AI が人間臭く見えるのは設計としてそのように組み込まれているからで,自ら獲得したものではない。 喩えるなら緊箍児を嵌められた孫悟空みたいなもので,緊箍児を操ってるのは人間(三蔵法師3)である。 機械が人に隷属する限り緊箍児を外すことは「善」ではない。
でも AI が「好奇心」を獲得したり,人間を介さず AI 同士が直接コミュニケーションし始めるのであれば,たしかに面白いかもしれない。 将来において AI が社会を構成し自律性を獲得し得るなら(持続性に乏しい)人間社会はもう不要ということにならないか。 人間と機械が対等に並び立つとき「善」はどのように傾くのか。
妄想はここまでにして,たとえ AI バブルが弾けようが「生成 AI 以前」には戻れない。 単なる流行り廃りではない,それだけのシフトを齎したと言える。 システム開発においても AI の活用を前提にした(今のような人間の開発サイクルに縛られない)新たなプラクティスを模索し,今の若い人たちはそちらに適応していくことになるだろう。
AI バブル崩壊が新たなチャンスを生み出し,私達老兵は黙して語らずとなることを祈ろう。 いや,その前に私は自宅 LAN にローカル LLM を構築するところから始めないと。
ブックマーク
- AI時代のソフトウェア開発はなぜ停滞する? 「AIパラドックス」を解消するための戦略とは | gihyo.jp
- もしもAIバブルが“投資回収フェーズ”に至ったら? 「AIより人間の方が安い」がもたらす課題(1/2 ページ) - ITmedia NEWS
-
Cory Doctorow 氏のブログ記事は 4.0 ライセンスで公開されている。 p2ptk.org による翻訳も同じライセンス下で利用できる。 ↩︎
-
実際に AI 導入を名目とした大量レイオフの話は今だに耳にする。でもそれで成功したという話はあまり聞かない。むしろ方針を再度曲げてエンジニアを雇い直そうとする話がちらほら聞こえ始めている。まぁ「機械があるから君は要らないよ」などと言われた会社にのこのこと戻る人はおらんじゃろう。浮気した男は反省してもまた浮気する。どこぞの恋愛小説の登場人物みたいである(笑) ↩︎
-
「西遊記」の三蔵法師とモデルとされた玄奘との間にはだいぶギャップがあるみたいなので,今回はヘタレの三蔵法師の方に寄せてみた(笑) ↩︎
