「テレビは既に生活の中心ではない」
ちなみにうちはアナログ停波以来テレビを捨てた。 BS も映らない古いブラウン管テレビだったので,撤去して部屋が広くなった。 ゲーム機は繋がらなくなったが(笑) テレビはワンセグで「ニチアサ」を観るくらい。 あと行きつけのお好み焼き屋で見るか。 Facebook の NHK のページでは番組予告とかやってるけど,そのとき「観たいなぁ」と思っても忘れて観ないことのほうが多い。 わざわざ「テレビを観る」のは(番組の内容に対して)コストが高いのだ。
まだ HDD の容量が100GBで「大容量」とか言われてた時代。 HDD 増設のついでにパソコン用の TV チューナーを買ったのよ。 それで見逃した番組を録り溜めしておいて後でまとめて見ればいいやって。 でもこれ数ヶ月で破綻したんだよねぇ。 そこで私は悟った。
今見れないものは後でだって見ない
要するにそのテレビ番組が観たいって思うのは「捏造された欲求」なのだよ。 扇情的なパッケージを見てついエロ DVD を買ったり借りたりしちゃったのと同じ。 「捏造された欲求」は喉元を過ぎれば忘れてしまう。 それに「後で見る」は事態の先送りにすぎない。 そう気づいたら楽になり,そこから「テレビを見ない」ことが既定になった1。
「テレビを見ない」ことが既定になって次に何が起こったかというと音楽を聴かなくなった。 厳密に言うと「流行りの音楽」を聴かなくなった。 私のアイドルの知識は初期の「モー娘。」で止まってる。 なぜかというとテレビを見なくなったから。 テレビを見なくなると「流行りの音楽」との接点がなくなる2。
私の場合,これまで述べたような経緯なので「CCCD のせいで買わなくなった」かというと必ずしもそうではない気もするのだが,学生時代から聴いてたアーティスト(山本正之さんや谷山浩子さんなど)の CD も買わなくなったので CCCD の影響は少なからずあったと思う。
ここ数年また音楽を少しずつ聴くようになったのはアニメ等をネットで観れるようになったことと Amazon MP3 のおかげで CD を買わなくても直接デジタルで音楽を買えるようになったことが要因だと思う。 なので最近聴く音楽は激しく偏っていて昔とは嗜好が異なっている。
音楽もアニメ・ドラマもそれ以外のコンテンツも,今はサービス単位の subscription 制が当たり前になり「水のように」聞いたり見たりできるようになった。 誰しも可処分時間は有限であり,ネット上のサービスも含めて「パイの奪い合い」になっている。 「若者の◯◯離れ」というのは要するに「敗者の弁」である。 そういった状況の中でテレビというメディアの存在理由が問われていると思う。
しかし,子どもと年寄りは就労世代に比べて明らかに可処分時間が多い。 特に年寄りは「録画して後で観る」なんて習慣はないんじゃないのかなぁ。 そうなるとテレビはますます「お達者倶楽部」になっていくのかもしれない。 でも「テレビを観る時間が長く、体を動かさない人は、認知テストの得点が低い」んだそうだ。
これってネットで一日中動画サイトを徘徊しているような人にも当てはまる気がするが,まぁお気をつけを。
そういえば停波したアナログ帯域は
てなことになってるらしい。 なんとも役人臭プンプンなサービスだが3,これなら地上デジタル波要らないんじゃないのかなぁ。 テレビコンテンツは衛星とケーブルに全部移して,情報系は i-dio でいいんだから,地上デジタル波の帯域は停波・返却してもっと世の中の役に立つことに使うべきだよね。 21世紀の今,電波を「放送」に使うのは激しく無駄遣いだと思うのだが,どうだろう。