『認められたい』の予習: 所属欲求について
さて,3月も去っていきましたよ。 第1四半期終わってもうたがな。
熊代亨さんの『認められたい』が面白そうなので発注をかけたのだが,読む前に「所属欲求」について同じ著者による以下のブログ記事を読んでみた1。 (本当は4月1日にこの記事を挙げようと思ったけど,なんか嫌だったので1日ずらした)
- 【たすけて!所属欲求!】1.承認が足りないおじさん・おばさんは所属しろ! - シロクマの屑籠
- 【たすけて!所属欲求!】第二回:共同体消失と、SNSによる所属欲求の復活 - シロクマの屑籠
- 【たすけて!所属欲求!】3.SNS所属欲求の可能性と危険性 - シロクマの屑籠
心理学者の Abraham Maslow さんによる欲求段階説は以下のようなものらしい。
このうち「承認欲求」と「所属欲求」が「人間関係にまつわる欲求」なんだそうだ。
承認欲求は心理学以外のシーンでもよく使われる用語なので説明は不要だろう。 所属欲求については「誇れるメンバーシップの一員でいたい・敬愛する人と一緒にいたい欲求など」と説明されている。
現代は(良くも悪くも)個人主義を突き詰めていった結果であるとみなすことができる。 地縁・血縁コミュニティ,企業等の組織,はては国家に至るまで,人を縛りつけるこれらの軛から自由になることが「近代の夢」だったのだ。 それ故に人間関係にまつわる欲求においても所属欲求をすっ飛ばして承認欲求に傾倒していくのも必然なのかもしれない。
古き良き(笑)コミュニティや組織では内部に明確なヒエラルキーが存在し,かつそれらを繋ぐ基盤となるものが loyalty である。 コミュニティ・組織内で形成される loyalty は殆んど刷り込みのようなもので,そのおかげで人間関係が大きく変化することもなく固定されている。 一方,現代のコミュニティ・組織ではもはや loyalty は機能しなくなり始めている。 これらのコミュニティ・組織では内部の人間関係は流動化している。 これはコミュニティというよりは「クラスタ」と呼んだ方がいいかもしれない2。 この記事では便宜上そのまま「クラスタ」と呼んでおこう(違和感あるかもだけど許して)。
これを私たちエンジニアの立場に引きつけて考えると,コミュニティは「カテドラル型」でクラスタは「バザール型」と言えるかもしれない。 Eric Raymond さんの『伽藍とバザール(The Cathedral and the Bazaar)』は20世紀末に書かれたものだが,そのころには既に FLOSS の世界ではクラスタが形成されていて,そのクラスタに対する所属欲求も機能していたことになる3。
Loyalty を基盤としたコミュニティはヒエラルキーが決まっているため所属欲求を発揮しやすい。 コミュニティ内でどのように行動すれば認められるのか刷り込みレベルで叩き込まれるからだ。 これを「儀礼(protocol)」と呼ぶ。
一方,クラスタではこの儀礼が固定されてないか存在すらしないことが多い。 そもそもクラスタ内の人間関係は流動的なので固定しようがない。 そういう環境で所属欲求を発揮するのはかなりの高等スキルかも知れない(Twitter での「バルス」や Facebook の「いいね」のように keep-alive 信号を発するだけで欲求を満たせるのなら簡単だが)。 クラスタとの距離感,クラスタ内の人間関係の距離感がつかめないと「ただ声がでかいだけの人」になってしまいそうだ。
そういえば同じ「シロクマの屑籠」に
という記事があったな。 私は「シラケ世代」「新人類」などと呼ばれた世代なのでこうした儀礼(というか儀礼を刷り込むための体育会系なイニシエーション)を嫌っていたが,「古き良き(笑)コミュニティや組織」に所属したいのであれば必要なことだと割り切ってもいた。 迎え入れる側も「学生ごとき」と思ってたし人を育てる余裕もあったしね。 今の若い人は就活の時点で儀礼を要求されるのだから難儀なことだとは思う。
話がずれた。
続けて「SNS所属欲求の可能性と危険性」では所属欲求の暴走とも言える事例も挙げている。
更に「SNS所属欲求の可能性と危険性」では SNS を例に挙げているが,個人的には首をかしげる。 技術や道具を過剰に礼賛するのも不当に貶めるのも正しいやり方ではない。 「SNSが人を『分断』している」わけではなく,分断され各々がそこに引きこもっている世界が SNS に投影されているに過ぎない。 Post-truth は今に始まった事案ではなく,それこそ新聞が登場して以来のメディアが抱える根源的な問題である。
まぁそれはともかく,個人主義が大手を振って歩く現代では承認欲求や所属欲求を意識的にコントロールする術を身に着けなければならない,ということだろう。 同時に,これは私の感想だが,コミュニティの形も変わりつつあると思う。 そこでは従来の儀礼は通用しないかもしれないし所属欲求の満たし方も異なるかもしれない。
その辺が『認められたい』でどう語られるか楽しみにすることにする。 つっても積読がたまってるからなぁ。 GW が終わるまでには感想文が書けるよう努力します(笑)
参考図書
- 認められたい
- 熊代亨 (著)
- ヴィレッジブックス 2017-02-28 (Release 2017-02-28)
- 単行本(ソフトカバー)
- 4864913250 (ASIN), 9784864913256 (EAN), 4864913250 (ISBN)
結局,積ん読状態のまま(引越し時に)処分しちゃったなぁ。
- 排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異
- ジョック ヤング (著), Young,Jock (原著), 秀男, 青木 (翻訳), 泰郎, 伊藤 (翻訳), 政彦, 岸 (翻訳), 真保呂, 村澤 (翻訳)
- 洛北出版 2007-03-01
- 単行本
- 4903127044 (ASIN), 9784903127040 (EAN), 4903127044 (ISBN)
- 評価
- 伽藍とバザール
- 原題: The Cathedral and the Bazaar
- レイモンド エリック, 山形 浩生 (翻訳)
- 1999-04-16 (Release 2014-09-17)
- 青空文庫
- 227 (図書カードNo.)
- 評価
プロジェクト杉田玄白 正式参加作品。翻訳者のページも参照のこと。今となっては古典だけどねぇ。
reviewed by Spiegel on 2022-10-18 (powered by aozorahack)
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何故この記事に注目したかというと同じ「シロクマの屑籠」で「ほとんどの視聴者を包み込んだ『けものフレンズ』すごーい」という記事を見かけて気に入ったからだ。 ↩︎
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実際に Twitter では「○○クラスタ」といった言い回しをよく聞く。 ↩︎
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「共同体消失と、SNSによる所属欲求の復活」によると「ところが東日本大震災が起こった前後から、twitterやFacebookは、主義主張や立場ごとに寄り集まって意見をぶつけ合う、党派性を帯びたコミュニケーションの場としての顔貌を露わにしはじめました」とあり,それ以前の SNS では所属欲求より承認欲求が支配的だったと述べている。 ↩︎