『認められたい』の予習: 所属欲求について

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さて,3月も去っていきましたよ。 第1四半期終わってもうたがな。

熊代亨さんの『認められたい』が面白そうなので発注をかけたのだが,読む前に「所属欲求」について同じ著者による以下のブログ記事を読んでみた1。 (本当は4月1日にこの記事を挙げようと思ったけど,なんか嫌だったので1日ずらした)

心理学者の Abraham Maslow さんによる欲求段階説は以下のようなものらしい。

「承認が足りないおじさん・おばさんは所属しろ!」より
「承認が足りないおじさん・おばさんは所属しろ!」より

このうち「承認欲求」と「所属欲求」が「人間関係にまつわる欲求」なんだそうだ。

承認欲求は心理学以外のシーンでもよく使われる用語なので説明は不要だろう。 所属欲求については「誇れるメンバーシップの一員でいたい・敬愛する人と一緒にいたい欲求など」と説明されている。

マズローは、所属欲求を承認欲求よりも前段階の欲求として記しています。生まれながらにして誰もがコミュニティに属し、仕事や生活を支え合っていた社会では、たぶんそれが自然なことだったでしょう。
[...]
ただし、郊外化や都市化が進行した後の社会、たとえば1980年代以降の、日本の郊外などで生まれ育った子どもの場合は、この限りではありません。コミュニティへの所属がずっと希薄となり、親から個人主義的な考え方とライフスタイルを専ら叩き込まれて育った子どもは、むしろ逆で、スタンドアロンな承認欲求がデフォルトで、所属欲求が乏しい人が珍しくないよう見受けられます。
via 承認が足りないおじさん・おばさんは所属しろ!

現代は(良くも悪くも)個人主義を突き詰めていった結果であるとみなすことができる。 地縁・血縁コミュニティ,企業等の組織,はては国家に至るまで,人を縛りつけるこれらの軛から自由になることが「近代の夢」だったのだ。 それ故に人間関係にまつわる欲求においても所属欲求をすっ飛ばして承認欲求に傾倒していくのも必然なのかもしれない。

そのことを踏まえて、私は、承認欲求と所属欲求の間に優劣はつけられず、育った環境や社会状況次第で、どちらが優勢になるのかが変化するという風に捉えています。と同時に、どちらか一方だけをモチベーション源として生きるのは難しく、『認められたい』で触れたように、どちらの欲求も、適切な経験を積み重ねて、適切なかたちにソーシャライズされていかなければ(=レベルアップさせていかなければ)、心理-社会的な適応が難しくなる、とも考えています。
via 承認が足りないおじさん・おばさんは所属しろ!

古き良き(笑)コミュニティや組織では内部に明確なヒエラルキーが存在し,かつそれらを繋ぐ基盤となるものが loyalty である。 コミュニティ・組織内で形成される loyalty は殆んど刷り込みのようなもので,そのおかげで人間関係が大きく変化することもなく固定されている。 一方,現代のコミュニティ・組織ではもはや loyalty は機能しなくなり始めている。 これらのコミュニティ・組織では内部の人間関係は流動化している。 これはコミュニティというよりは「クラスタ」と呼んだ方がいいかもしれない2。 この記事では便宜上そのまま「クラスタ」と呼んでおこう(違和感あるかもだけど許して)。

これを私たちエンジニアの立場に引きつけて考えると,コミュニティは「カテドラル型」でクラスタは「バザール型」と言えるかもしれない。 Eric Raymond さんの『伽藍とバザール(The Cathedral and the Bazaar)』は20世紀末に書かれたものだが,そのころには既に FLOSS の世界ではクラスタが形成されていて,そのクラスタに対する所属欲求も機能していたことになる3

Loyalty を基盤としたコミュニティはヒエラルキーが決まっているため所属欲求を発揮しやすい。 コミュニティ内でどのように行動すれば認められるのか刷り込みレベルで叩き込まれるからだ。 これを「儀礼(protocol)」と呼ぶ。

一方,クラスタではこの儀礼が固定されてないか存在すらしないことが多い。 そもそもクラスタ内の人間関係は流動的なので固定しようがない。 そういう環境で所属欲求を発揮するのはかなりの高等スキルかも知れない(Twitter での「バルス」や Facebook の「いいね」のように keep-alive 信号を発するだけで欲求を満たせるのなら簡単だが)。 クラスタとの距離感,クラスタ内の人間関係の距離感がつかめないと「ただ声がでかいだけの人」になってしまいそうだ。

そういえば同じ「シロクマの屑籠」に

という記事があったな。 私は「シラケ世代」「新人類」などと呼ばれた世代なのでこうした儀礼(というか儀礼を刷り込むための体育会系なイニシエーション)を嫌っていたが,「古き良き(笑)コミュニティや組織」に所属したいのであれば必要なことだと割り切ってもいた。 迎え入れる側も「学生ごとき」と思ってたし人を育てる余裕もあったしね。 今の若い人は就活の時点で儀礼を要求されるのだから難儀なことだとは思う。

話がずれた。

続けて「SNS所属欲求の可能性と危険性」では所属欲求の暴走とも言える事例も挙げている。

マズローやコフートの著作には、こうした問題の悪しき例としてナチスドイツが登場します。個人として承認欲求を充たすことが困難となり、ナショナリズムを介して所属欲求を充たすことも難しくなったドイツ人にとって、西側諸国にも強気で、パフォーマンスの派手な“愛国政党”は、所属欲求を充たしてくれる頼もしい集団とうつったでしょう。しかし、それに乗りかかってしまった人々は、大きな過ちを犯しました。
ほとんどの人が 個人の承認欲求を主なモチベーション源として行動しているうちは、こうした所属欲求の危険性はあまり気にする必要がありません。しかし、モチベーション源としての所属欲求が再浮上し、それがそれが世論や政治に影響を及ぼすようなコミュニケーションの布置ができあがっているとしたら、所属欲求の長所だけでなく、短所やリスクも思い出しておく必要があります。
via SNS所属欲求の可能性と危険性

更に「SNS所属欲求の可能性と危険性」では SNS を例に挙げているが,個人的には首をかしげる。 技術や道具を過剰に礼賛するのも不当に貶めるのも正しいやり方ではない。 「SNSが人を『分断』している」わけではなく,分断され各々がそこに引きこもっている世界が SNS に投影されているに過ぎない。 Post-truth は今に始まった事案ではなく,それこそ新聞が登場して以来のメディアが抱える根源的な問題である。

まぁそれはともかく,個人主義が大手を振って歩く現代では承認欲求や所属欲求を意識的にコントロールする術を身に着けなければならない,ということだろう。 同時に,これは私の感想だが,コミュニティの形も変わりつつあると思う。 そこでは従来の儀礼は通用しないかもしれないし所属欲求の満たし方も異なるかもしれない。

その辺が『認められたい』でどう語られるか楽しみにすることにする。 つっても積読がたまってるからなぁ。 GW が終わるまでには感想文が書けるよう努力します(笑)

参考図書

photo
認められたい
熊代亨 (著)
ヴィレッジブックス 2017-02-28 (Release 2017-02-28)
単行本(ソフトカバー)
4864913250 (ASIN), 9784864913256 (EAN), 4864913250 (ISBN)

結局,積ん読状態のまま(引越し時に)処分しちゃったなぁ。

reviewed by Spiegel on 2019-11-04 (powered by PA-APIv5)

photo
排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異
ジョック ヤング (著), Young,Jock (原著), 秀男, 青木 (翻訳), 泰郎, 伊藤 (翻訳), 政彦, 岸 (翻訳), 真保呂, 村澤 (翻訳)
洛北出版 2007-03-01
単行本
4903127044 (ASIN), 9784903127040 (EAN), 4903127044 (ISBN)
評価     

感想はこちら

reviewed by Spiegel on 2018-12-07 (powered by PA-APIv5)


  1. 何故この記事に注目したかというと同じ「シロクマの屑籠」で「ほとんどの視聴者を包み込んだ『けものフレンズ』すごーい」という記事を見かけて気に入ったからだ。 [return]
  2. 実際に Twitter では「○○クラスタ」といった言い回しをよく聞く。 [return]
  3. 共同体消失と、SNSによる所属欲求の復活」によると「ところが東日本大震災が起こった前後から、twitterやFacebookは、主義主張や立場ごとに寄り集まって意見をぶつけ合う、党派性を帯びたコミュニケーションの場としての顔貌を露わにしはじめました」とあり,それ以前の SNS では所属欲求より承認欲求が支配的だったと述べている。 [return]