「MeToo」という Stand-Alone Complex
日本で「セクシャル・ハラスメント」が流行語としてあがったのは,もう30年近く前の1989年のことらしい。 その後さまざまな派生語が生まれたが,元々の意味である「harassment(いじめ,嫌がらせ)」ではなくカタカナの「ハラスメント」という微妙な言葉にすり替えられていること自体が,この問題を扱うことの難しさを浮き彫りにしている。
あらかじめ予防線を張っておくと,私は個々の harassment 事案については興味がない1。 基本的に当事者同士(もしくは当事者に近い人や組織)の問題だと思ってるし,縁もゆかりもない人の個人的な話に横から首を突っ込むのは却って失礼な気がする。 しかもそれが有名人の場合は社会問題というよりゴシップに近く,報道もイエロー・ジャーナリズムに偏っていて読んでも辟易するだけというのが正直な感想である。
その中でも以下の記事はなかなか面白いと思った。
「MeToo 運動」(便宜的にこう命名する)そのものについてはこの記事に詳しく書かれているので記事を読んだほうがいいだろう(BuzzFeed の立ち位置を必死で言い訳しているようにも見えるが華麗にスルーする)。
この記事の本領は後半からなのだが,記事では2つの点を挙げていて
という観点で書かれているのだが,私は以下の切り口で考えてみたいと思う。
- 「市民運動」における慣性
- 「性」観念という刷り込み
2番目については今回は割愛する。 敢えて言うなら,「ハラスメント」について語るなら最低でもアン・ウィルソン・シェフ著作の『嗜癖する人間関係』くらいは読んでこい,という感じだろうか。 残念ながらこの本は絶版ぽいので,読むなら図書館にでも行くしかないのだが2。
私としては絶賛積読中の『性表現規制の文化史』を読んでから本格的に考えてみたいところではある。 年末年始の宿題かなぁ。
「市民運動」における慣性
「MeToo 運動」に限らず市民運動には一種の慣性のようなものが働く。 最初は小さな善意や勇気から発生したことであっても,それが組織的に駆動し始めるとコントロールが難しくなり簡単に暴走する。 動物愛護や環境保護の運動だって最初は小さな善意や勇気から始まった筈である。
中西準子さんの『食のリスク学』の中で,市民運動についてこういう記述がある。
流石は長く市民運動などに関わってこられた中西準子さんならではの重い言葉だが,こういう事例は規模の大小を問わずそこかしこに存在する。
Stand-Alone Complex
ましてや今回の「MeToo」運動はコントロールする主体が存在しない Stand-Alone Complex3 な状態で駆動していることが,端から見ていて不安感を増幅させる。
こうした Stand-Alone Complex な動員は,2010年末のチュニジア「ジャスミン革命」に端を発する「アラブの春」あたりから目立つようになってきた。 もっと言うなら,これを積極的に利用しているのが IS などの非合法武装組織で,近年頻発している欧米都市内のテロの多くは Stand-Alone Complex 型4 と言える。
「アラブの春」では Twitter や Facebook が連帯感を強める「メディア」として機能したことが喧伝されるが,裏から見れば Twitter などの「タイムライン・サービス5」は Stand-Alone Complex な動員をかけやすい「メディア」であると言える。 昨年の米国大統領選挙でもこの手の動員が行われていたかもしれない。 “alt.truth” などとカッコイイ名前をつけたところで,結局のところ,市民運動が持つ「慣性」によって事実が歪められているだけということに過ぎない6。
これは「タイムライン・サービス」の構造的欠陥と言っていいと思う。 私たちは Stand-Alone Complex な動員(あるいは「炎上」と言ってもいいかもしれないが)に対してもっと慎重になるべきだ。
参考図書
- 嗜癖する人間関係―親密になるのが怖い
- アン・ウィルソン シェフ (著), Schaef,Anne Wilson (原著), 克子, 高畠 (翻訳)
- 誠信書房 1999-01-01
- 単行本
- 4414429145 (ASIN), 9784414429145 (EAN), 4414429145 (ISBN)
- 評価
終盤になると「霊性」という単語が頻出するけど,日本のいわゆる「スピリチュアル」や類似のカルトの言説とは意味が異なるのでご注意を。
- 環境リスク学
- 中西準子 (著)
- 日本評論社 (Release 2013-08-01)
- Kindle版
- B00E7HMI7U (ASIN)
- 評価
環境リスクのみならず「リスク」全体に目配せした良書。著者の自伝的作品でもある。
- イスラーム国の衝撃 (文春新書)
- 池内 恵 (著)
- 文藝春秋 2015-01-20 (Release 2015-01-28)
- Kindle版
- B00SINS1HU (ASIN)
- 評価
「イスラーム国」だけでなく近代以後(特に 9.11 以後)の中東の歴史について理解を深められる良書
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もちろん自分や自分に近しい人のことなら他人事ではいられないが,それを(政治的な理由もなく)わざわざ公言するほど私は馬鹿ではない。 ↩︎
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はいはい。もちろん元ネタは「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」ですよ。一応解説すると, Stand-Alone Complex は作中で草薙素子が命名した造語で,独立した個人による独立した行動が結果的に集団的な統一性を構成してしまう現象を指している。直接的には「笑い男事件」から派生した模倣者を指しているのだが,実は公安9課の存在自体も荒巻大輔の「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん,あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ」という台詞にある通り Stand-Alone Complex であり,両者が相似形になっている点がこの作品の面白さのひとつある。 ↩︎
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池内恵さんはこれを「ローン・ウルフ型テロ」と呼んでいる。このタイプのテロは計画も準備も(組織と意識的な連携をすることなく)独立した個人が行うため,当局による事前察知が難しい側面がある。ただし,組織的な活動ではないためテロの影響が限定的にならざるを得ないという側面もある。 ↩︎
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個人的な意見だが, Twitter や Facebook といったサービスはいわゆる「SNS」から隔離して論ずるべきだと思う。何故なら,現在ほとんどののサービスはソーシャル・ネットワーク機能を有しているため「SNS」という括りに意味がなくなってきているからだ。というわけで最近は Twitter や Facebook などのことを「タイムライン・サービス」と呼んでいる。 ↩︎
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見方を変えるなら,この「慣性」には事実を歪めてしまうほどの強制力があるということでもある。 ↩︎