『数学ガールの秘密ノート「暗記と理解」』より
Twitter で感想を呟いたら微妙に反応があったみたいなので,調子に乗ってブログ記事に再構成してみる。
暗記は思考のショートカット
私はとにかく暗記が苦手で,学校の授業では如何にして暗記の量を減らせるかで苦心していた。 今でも暗記は全く駄目で,特に論理でないものは覚えるのに苦労する。 顔とか名前とかパスワード(パスフレーズ)とか1。 たぶん脳みそに何か欠陥があるんじゃないかな。
ホンマ,皮肉でもなんでもなく暗記が得意な人とか写真記憶とか羨ましい。 ラノベみたいなチート能力は要らないが,暗記能力は欲しかったよ。
小中の算数は計算問題が主で壊滅的な成績。 暗算ができなくて計算に他人の3倍くらいかかるからだ。 ドリルの宿題はひたすら苦行だった(遠い目)。 中3で代数や幾何の証明問題が増えてきてようやく人並みの成績がとれるようになった。 証明問題は証明のフローさえ覚えれば幾らでも応用と組み合わせができるし。 これで高校は理数科に入ってしまったのだから人生は分からないものである。
私は「暗記は思考のショートカット」と認識している。 例えば数学なら,公式や定理・公理をきちんと覚えて使いこなせば「理解を進める」ための強力な道具となるだろう。 あるいは自然言語の「語彙」を覚えるとか,プログラミングでフレームワークやデザイン・パターンを覚えたり,といったことも同様だ。
理解とはプロセス
数学の成績が上向いてきて気がついたのだが,自分が理解していることと理解していることを(テスト等で)他人に証明することは別問題である。 これに気づいてからは学校成績は気にならなくなった。 まぁ両親がそういうのにあまり煩くない人だからというのもあるけど,今にして思えば,これも中二病の一種だったんだろう。
そもそも大前提として「人は想像を絶するものは想像できない」。 じゃあ,どうやったら人は「想像の地平線の向こう側」に行けるのか。
これは結城浩さんの「数学ガール」シリーズを読むようになって納得できたことだが,正しい理解には対話が不可欠だと思う。 対話によって「想像の地平線の向こう側」を識ることができるのだ。 ならば「理解とはプロセス」であり,常に現在進行形で不完全なものなのだ。 人はその不完全さを抱いて「理解を進める」のである。
理解を進める
「理解すること」は「理解を進める」ことと同義だと私は思う。 ときには立ち止まっても後ろを向いても構わないが,トータルで前に進めているのなら「理解している」と言っていいんじゃないだろうか。
ちなみに私の場合,本を読むときには(自分にとって)難しい本を1冊買って,その本を理解するために別の本を大量に買ったり,最近ではネットで調べたりする。 モットーは「情報は広く知識は深く」である。 いつもうまくいくとは限らないけど(笑)
ブックマーク
参考図書
- 数学ガールの誕生 理想の数学対話を求めて
- 結城 浩 (著)
- SBクリエイティブ 2013-09-13 (Release 2014-09-13)
- Kindle版
- B00NAQA33A (ASIN)
- 評価
結城浩さんの講演集。こういう場所に立ち会える今の学生さんは羨ましい。
- いかにして問題をとくか
- G. ポリア (著), Polya,G. (原著), 賢信, 柿内 (翻訳)
- 丸善 1975-04-01
- 単行本
- 4621045938 (ASIN), 9784621045930 (EAN), 4621045938 (ISBN)
- 評価
数学書。というか問いの立てかたやものの考え方についての指南書。のようなものかな。
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だからパスワードを覚えなくても安全に運用できる方法を考えたりするわけだ。自分で書いたコードは覚えようとしなくても自然と頭に浮かぶのにねぇ。 ↩︎