搾取と狂狷

no extension

最近,東京大学の研究者による面白い論文が発表されたらしい。

これをもう少し噛み砕いて説明した記事が MIT Technology Review によるこれ。

この記事からちょっと多めに引用してみよう。

もう1つ未解決の問題は、搾取が社会でいかに発展してきたかだ。社会的生物の間で、どのようにして個人が他者を利用して自分の利益を増やすようになったのだろうか。
明白な答えの1つは、力のある人はその力を使って力の弱い人を利用できるということだ。この答えは同時に、力が拮抗する個人間では搾取的行動が起こりえないことを示唆する。それでもなお、広い規模で頻繁に搾取が見られる現状は、搾取は起こるべくして起こっているということを示唆している。搾取は一体どのように起こるのだろうか。

もともと「繰り返しゲームとしての囚人のジレンマ」では

これが起こり得る具体的な状況は、アリスが以前のゲームから学習するのに対し、ボブは学習せず同じ戦略を使うときだ。その場合、アリスはボブを利用して、徐々に自分にとってより良い結果を確保できるようになる

ことは知られていた。 しかし今回「東京大学の大学院生である藤本悠雅と金子邦彦教授」は

両方のプレイヤーが以前の経験から学び、それに応じて自分の戦略を適応させる繰り返しゲームとしての囚人のジレンマを研究した。そして、このような状況においても、1人のプレイヤーが他のプレイヤーを利用してより良い結果を得られるという画期的な結果を出したのだ。

内容はこうだ。

答えは、ゲームの初期条件にある。アリスがボブの戦略を知った場合に、ボブの行動を利用し、アリス自身の結果をより良くできることを、藤本と金子教授は示している。
しかし、この戦略がボブにとってより良い結果を約束するとアリスが保証すれば、アリスはボブの協力を確実なものにできる。たとえばある状況では、両方のプレイヤーが裏切る場合の結果よりも、ボブが犠牲になった方がボブにとって良い結果になるとアリスが保証できるのだ。
このため、たとえアリスがより有利になったとしても、ボブには搾取を受け入れる動機がある。

これってさ。 GAFA に象徴される「監視資本主義」そのものぢゃん。 論文の著者はむしろ「監視資本主義」の構造から今回の着想を得たのではないかとさえ思ってしまう(本当のところは知らない)。

「監視資本主義」の本質が「合意の上の搾取」にあるのだとしたら,これに抗うのはかなり難しそうである。 と,ここまで考えて思い浮かんだのは「狂狷の徒」というフレーズである。

以前にも紹介したが, 「狂狷 (きょうけん) 」というのは論語の中に出てくる言葉らしい。

孔子様はこう言っとる。「人間というものは中庸を得たものが一番よろしい」と。まあいわゆる聖人ですわな。しかし、「現実にはそんな中庸の人間がおるものではない」と。
それでは中庸の人の次にどういう人がいいかというと、孔子は「狂狷の徒がよろしい」と言うておる。「狂狷は進みて取る」、進取の気性です。世間を変えるには「狂」がなければならない。
そして「狷者は為さざるところあるなり」と。たとえ一億円の金を積まれても、わしは嫌じゃということは断じてせんという、それが「狷」です。

「監視資本主義」による「合意の上の搾取」に抗いたいのなら狂狷の徒たるべきなのだろう。 自由に生きるというのは本当に大変である。

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参考図書

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もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来
yomoyomo (著)
達人出版会 2017-12-25 (Release 2019-03-02)
デジタル書籍
infoshare2 (tatsu-zine.com)
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WirelessWire News 連載の書籍化。感想はこちら。祝 Kindle 化

reviewed by Spiegel on 2018-12-31