「安全」と引き換えに「安心」を得る
Facebook の TL を眺めてたら
てな記事が目に入って読もうかと思ったが
とかいう副題が目に入ったので,内容を無視して脊髄反射記事を書いてみる。
ちなみに,今回の「緊急事態」の是非についての議論は知らない(政治的無関心中なので)が,「たられば」を言っていいのなら,個人的には3月下旬に宣言すべきだったと思っている。 4月の急速な感染拡大はどう考えても年度跨ぎの「異動」がトリガーになってるでしょ。 そういう意味では GW を「緊急事態」期間に含めたのは妥当だったと考えている。
今回のように時々刻々と事態や知見が推移していく状況では「専門家」が信用されなくて当然である。 「専門家は正しい」などと言うのは幻想に過ぎない。
だからといって「安全と引き換えに安心を得る」みたいなトレードオフは愚の骨頂だけどね。 私は安全と安心を一緒くたに騙る輩は,専門家だろうが政治家だろうが,信用しないことにしている。
大昔のダイオキシン騒動や BSE 騒動で「専門家」の限界については既知のものと思っていたが,ヒトとは忘れる生き物ということか。 専門家の発言について重要なのは「正しいか否か」ではなく内容の事実性である。
リスク評価には
- 科学的評価リスク
- 意思決定のためのリスク
- リスク不安
の3つがある(中西準子著『環境リスク学』より)。 前者ほど専門性が高く後者ほど個人の認知や感情に近い。 この3つは独立して存在するのではない。 リスクは系(system)全体で最小となるようチューニングされなければならないからだ。 そして,これらのギャップを埋めるための手法が「リスク・コミュニケーション」である。
故に最初に挙げた記事の副題は明確に間違いである。一方的な説得や押し付けは「お下知」と同じだ。 江戸時代かってぇの(笑) これって「安全と引き換えに安心を得る」とは逆方向に思考停止だよね。
テレビ時代のマス・コミュニケーションなら情報の「発信者」と「受信者」は明確に分かれていたが,ネットの時代の「双方向マス・コミュニケーション」は良くも悪くも peer-to-peer である。 しかし,本来コミュニケーションというのは相手との対等な「対話」なのだ。
旧いメディアによる「行為遂行的発話(performative utterance)」に煩わされることなく,メディア間の「情報ハウリング」を上手くフィルタリングして,上手に「事実(fact)」の上澄みを掬いとるのがこれからのメディア・リテラシーのポイントであり,それができて初めて対等な「対話」ができるようになるのだろう。
ブックマーク
- データ・ジャーナリズム・ハンドブック
- Thermal Imaging as Security Theater - Schneier on Security
- 2020年5月28日ニュース「『学校閉鎖は流行阻止効果に乏しい』『2歳未満のマスクは危険』と小児科学会」 | SciencePortal
- 数字11桁で他人の健康状態が把握できたカタールの接触追跡アプリの脆弱性についてまとめてみた - piyolog
- 「次亜塩素酸水」の空間噴霧について(ファクトシート)
参考図書
- 環境リスク学
- 中西準子 (著)
- 日本評論社 (Release 2013-08-01)
- Kindle版
- B00E7HMI7U (ASIN)
- 評価
環境リスクのみならず「リスク」全体に目配せした良書。著者の自伝的作品でもある。
- リスクとつきあう―危険な時代のコミュニケーション (有斐閣選書)
- 吉川 肇子 (著)
- 有斐閣 2000-03-01
- 単行本
- 4641280304 (ASIN), 9784641280304 (EAN), 4641280304 (ISBN)
- 評価
リスク・コミュニケーションについて。内容は古いがまだまだ使える。
- FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
- ハンス・ロスリング (著), オーラ・ロスリング (著), アンナ・ロスリング・ロンランド (著), 上杉 周作 (翻訳), 関 美和 (翻訳)
- 日経BP 2019-01-11 (Release 2019-01-01)
- Kindle版
- B07LG7TG5N (ASIN)
Twitter で見かけて衝動買いした。ちょっとだけ読んで積ん読中。