FOSS とジョナサン

no extension

最近 Facebook や Twitter の TL で FOSS (Free/Open Source Software) に関する総括みたいな記事をよく見かけるのだが,気のせいだろうか。 まぁ TL って自身の性癖の暴露だから,そういう風に見えてしまうこともあるのだろう。

「自由」は主張である

人とは本来,不自由な存在である。 何故なら,人は独りでは自身を証明できないから。 故に人が「自由」を求めるのなら「対象」が必ずあるし,求めるからには「対価」が必要である。

Free Software は以下の4つの自由を求めている。

  • どんな目的に対しても、プログラムを望むままに実行する自由 (第零の自由)。
  • プログラムがどのように動作しているか研究し、必要に応じて改造する自由 (第一の自由)。
  • ほかの人を助けられるよう、コピーを再配布する自由 (第二の自由)。
  • 改変した版を他に配布する自由 (第三の自由)。

物凄く簡単に言うと Free Software は「『政治から自由である』という政治主張」を持つソフトウェア(活動)なのである。 そして「政治主張」を実践するからには,責任やら義務やらが発生する。 その実装例が GNU GPL (General Public License; 一般公衆ライセンス) における “copyleft” という法的 hack である,と考えれば分かりやすいだろう。

つまり Free Software は「政治から自由である」ために政治的な責任・義務を負うという Anarchism 特有のレトリックを抱えているわけだ。

Open Source as a Jonathan

インターネットの老害達(笑)が懐かしむ「インターネットの黄金時代」をヒッピー文化に擬えることがある。 で,私の中でヒッピー文化の典型は『かもめのジョナサン』だったりする。

かの作品に対する感想や評価は色々あるだろうが,私の中でジョナサンは「『飛ぶ』ために全てから逃げた存在」だ。 まぁ,かつてのオウム信者にはアレを読んで入信した人とかもいるそうなので,それほど的はずれではないだろう(笑)

(最初からそう呼ばれていたわけではないが) Open Source は Free Software 運動から「政治主張」を洗い落としたものである。 Open Source の枠組みでは “copyleft” もオプションのひとつに過ぎない。 おおっ! これぞまさしくポリシー・ロンダリング(違う1)。

Open Source がそうした理由は単純だ。 「自由」の対価を払いたくなかったから。 だから「自由を得る」のではなく「不自由から逃げる」のだ,ジョナサンのように,「それがぼくには楽しかったから」。

囚人のジレンマと搾取

すずきひろのぶさんが最近「フリーソフトウェアと それを取巻く世界の状況 」という2007年当時のスライドを公開されていて,この中に「囚人のジレンマ」についての言及がある。

一応「囚人のジレンマ」について簡単に解説しておこう。

ある犯罪を行った囚人 A, B に対し

  • If A and B each betray the other, each of them serves two years in prison
  • If A betrays B but B remains silent, A will be set free and B will serve three years in prison
  • If A remains silent but B betrays A, A will serve three years in prison and B will be set free
  • If A and B both remain silent, both of them will serve only one year in prison (on the lesser charge)

と持ちかける。 表にするとこんな感じ。

Prisoner B stays silent
(cooperates)
Prisoner B betrays
(defects)
Prisoner A stays silent
(cooperates)
Each serves 1 year Prisoner A: 3 years
Prisoner B: goes free
Prisoner A betrays
(defects)
Prisoner A: goes free
Prisoner B: 3 years
Each serves 2 years
(lesser charge)

このとき囚人 A, B はそれぞれ黙秘するか裏切るか? という「非協力ゲーム」の一種である。 この条件下では「両者とも黙秘(協力)する」がパレート効率的であるにも関わらず,「単独のゲーム」または「有限繰り返しゲーム」においては「両者とも裏切る」がナッシュ均衡となることが分かっている。

では「無期限繰り返しゲーム」による囚人のジレンマはどうなるのか。 これについては様々なモデルで研究が行われている。 たとえば

明白な答えの1つは、力のある人はその力を使って力の弱い人を利用できるということだ

は典型的な「搾取」のパターンだ。

さらに最近では「戦略的力関係とゲームのルールが両者に対称的である場合」でも

アリスがボブの戦略を知った場合に、ボブの行動を利用し、アリス自身の結果をより良くできることを、藤本と金子教授は示している。

しかし、この戦略がボブにとってより良い結果を約束するとアリスが保証すれば、アリスはボブの協力を確実なものにできる。たとえばある状況では、両方のプレイヤーが裏切る場合の結果よりも、ボブが犠牲になった方がボブにとって良い結果になるとアリスが保証できるのだ。

このため、たとえアリスがより有利になったとしても、ボブには搾取を受け入れる動機がある。「このように、両方のプレイヤーが搾取関係を安定にしています」。

といった「搾取」のパターンも発表されている。

そして Open Source は「強者の武器」となる

フリーソフトウェアと それを取巻く世界の状況 」では, GPL 下でソフトウェア開発を行うことでパレート効率的である「両者とも協力する」関係に固定できると主張している(もちろん喩え話として語られている)。

しかし GPLv3 アップデートを巡る騒動を見る限り,誰もがパレート効率的な「両者とも協力する」関係を望んでいるわけではないように見える。

the GPLv2 was pretty popular at the time, but there were a couple notable loopholes some big corporations had been taking advantage of, which the free software people wanted to close. a whole bunch of people thought the GPLv2 was fine the way it was, though - closing the loopholes as aggressively as the GPLv3 did cut off some justifiable security measures, and some people said that it could do more harm than good. the linux kernel, along with a lot more stuff, declared it was sticking with the GPLv2 and not moving to the GPLv3.
and LLVM became at least as good as GCC, and a less risky decision for big companies, and easier to use to build new languages. so the free software movement’s last technical advantage was gone. its social advantages also kinda went up in flames with the GPLv3, too: the software that was the foundation for the GPL enforcement lawsuits stuck with the GPLv2.

「自由を得る」 Free Software (運動) より「不自由から逃げる」 Open Source を選好することによって何が起きるか。 「戦略的力関係とゲームのルールが両者に対称的である場合でも、搾取的な関係が構築できる」のであれば,それはどのような形を取るのか。

ジョナサンは「ここではない」世界へと逃げ込めたが,かもめならぬ我が身では何があろうとこの世界この社会で生きていかなければならない。

Open Source に関する批判は色々見受けるが,要するに Open Source が「強者の武器」となり,情報力を背景にした搾取の構造を構成していることが問題なのだと思う。 しかし Free Software ではその非対称性を壊せない。

故に

tl;dr: say no to licenses, say yes to norms.

なんてな話も出るのかもしれない。 個人的には(日本の法運用を見ても分かる通り)規範だのガイドラインだのをベースにした運用は腐敗や搾取の温床にしかならないと思うが(笑)

ブックマーク

参考図書

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かもめのジョナサン【完成版】(新潮文庫)
リチャード・バック (著), 五木 寛之 (翻訳)
新潮社 2015-07-01 (Release 2015-12-18)
Kindle版
B01916B8V8 (ASIN)
評価     

「まぼろしの4章」を加えた完成版。私の中でヒッピー文化のイメージは子どものときに読んだ『かもめのジョナサン』であり,初期のインターネットも『かもめのジョナサン』の延長線上にあると理解している。

reviewed by Spiegel on 2017-01-23 (powered by PA-APIv5)

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グリゴリの捕縛
白田 秀彰
2001-11-26 (Release 2014-09-17)
青空文庫
4307 (図書カードNo.)
評価     

白田秀彰さんの「グリゴリの捕縛」が青空文庫に収録されていた。 内容は 怪獣大決戦 おっと憲法(基本法)についてのお話。 古代社会 → 中世社会 → 近代社会 → 現代社会 と順を追って法と慣習そして力(power)との関係について解説し,その中で憲法(基本法)がどのように望まれ実装されていったか指摘してる。 その後,現代社会の次のパラダイムに顕現する「情報力」と社会との関係に言及していくわけだ。

reviewed by Spiegel on 2019-03-30 (powered by aozorahack)

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もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来
yomoyomo (著)
達人出版会 2017-12-25 (Release 2019-03-02)
デジタル書籍
infoshare2 (tatsu-zine.com)
評価     

WirelessWire News 連載の書籍化。感想はこちら。祝 Kindle 化

reviewed by Spiegel on 2018-12-31

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それがぼくには楽しかったから 全世界を巻き込んだリナックス革命の真実 (小プロ・ブックス)
リーナス トーバルズ (著), デビッド ダイヤモンド (著), 風見 潤 (翻訳), 中島 洋 (監修)
小学館プロダクション 2001-05-10
単行本
4796880011 (ASIN), 9784796880015 (EAN), 4796880011 (ISBN)

Linux の作者 Linus Torvalds の自伝的作品。

reviewed by Spiegel on 2017-01-23 (powered by PA-APIv5)

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かもめが翔んだ日
渡辺真知子 (メインアーティスト)
Sony Music Direct(Japan)Inc. 1978-05-02 (Release 2014-04-04)
MP3 ダウンロード
B00FU3P37W (ASIN)
評価     

そらで唄えます。つか,今でもカラオケでよく唄います(笑)

reviewed by Spiegel on 2020-09-14 (powered by PA-APIv5)


  1. 本当の policy laundering は国際的な議論や規制を都合よく利用して国内での立法プロセスを迂回することをさす: In their review of global business regulation, Braithwaite and Drahos find that some countries (notably the U.S. and the UK) push for certain regulatory standards in international bodies and then bring those regulations home under the requirement of harmonization and the guise of multilateralism; this is what we refer to as policy laundering. (via Policy laundering - Wikipedia↩︎