「理解」は常にベータ版(『数学を学ぶあなたへ』を読む)

no extension

「数学ガール」シリーズでおなじみの結城浩さんが面白いデジタル本を公開されている。

内容は

本書は、2020年11月7日〜9日にオンラインで開かれた、第67回早稲田大学理工学術院大学祭「理工展」有志企画「数学ってなにするの?」から依頼を受けて寄稿した文章をもとに、加筆修正したものです

とのこと。 早速購入した。

作家さんの頭の中を覗ける機会はそうあるものではない。 それを垣間見ることのできるこの手の本は割と好物だったりする。

印象的なフレーズは

私は、数学を「読むこと」や「学ぶこと」全般の水準器のようにとらえているようです。数学では、日常生活における「常識」から何かを導くのではなく、書かれたことを読み、理解し、それらを組み合わせることが要求されます。そのため、何かを学ぶ上での骨組み・骨格が数学の中に存在していると感じます

の部分。

何かを考える際,脳内には「言語的思考」と「非言語的思考」があると思う(脳科学云々はとりあえず無視する)。 私は思考が横滑りしやすいが,横滑りしやすいのは「非言語的思考」の部分だという自覚はある。

更に言うと「言語的思考」と「非言語的思考」を繋ぐのは存外むずかしい。 「非言語的思考」は思考の自由度が高いが,他者と「対話」したいなら「言語的思考」と「非言語的思考」が何らかの形で繋がっていないといけない。

これは結城浩さんの「数学ガール」シリーズを読むようになって納得できたことだが,正しい理解には対話が不可欠だと思う。 対話によって「想像の地平線の向こう側」を識ることができるのだ。 ならば「理解とはプロセス」であり,常に現在進行形で不完全なものなのだ。 人はその不完全さを抱いて「理解を進める」のである

そうした「思考を繋ぐ」のが数学やプログラミングなんじゃないかと思うようになった。 まぁ,プログラミングは数学の一種でもあるけど(笑)

また,思考をいったん「コード」に落とし込むことで「正しさ」を検証(証明)できるようになり,更にそれを外部化できるようになる。 もちろん何を以って「正しい」とするかの criteria を設定する必要があるが。

たとえば,私は数理パズルが好きで,学生の頃から「数独」とかやりこんでいたが,今や「数独」はプログラムで解ける。 つか「数独」をテーマにした数学論文も結構ある(らしい)。 じゃあ,もう「数独」はつまらないパズルなのかというと,そんなことはない。 本物のパズル好きは「問題を解く」から「問題を作る」にシフトするからだ。 如何に「美しい問題」を作るかに集中し,作った問題の検証はプログラムにさせればいいのだ。

これからの時代,「問題を解く」ことはどんどん外部化されていくだろう。 その代わり,如何に上手く問題を立てれるかが重要になってくる。 正しい答えは正しい問いからしか導けない。

それこそが「理解」を次のステージに進める一歩である。

ところで…

note のコンテンツを独自ドメインで運用するのはいいのだが,ブラウザ以外でアクセスするとリダイレクトの無限ループにハマってしまう。

$ curl -L https://mm.hyuki.net/n/n00bf973ae131
curl: (47) Maximum (50) redirects followed

(なお mm.hyuki.net に限らない)

これって crawler に対する嫌がらせなのかしらん。

ブックマーク

参考図書

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数学ガールの誕生 理想の数学対話を求めて
結城 浩 (著)
SBクリエイティブ 2013-09-13 (Release 2014-09-13)
Kindle版
B00NAQA33A (ASIN)
評価     

結城浩さんの講演集。こういう場所に立ち会える今の学生さんは羨ましい。

reviewed by Spiegel on 2013-09-21 (powered by PA-APIv5)

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いかにして問題をとくか
G. ポリア (著), Polya,G. (原著), 賢信, 柿内 (翻訳)
丸善 1975-04-01
単行本
4621045938 (ASIN), 9784621045930 (EAN), 4621045938 (ISBN)
評価     

数学書。というか問いの立てかたやものの考え方についての指南書。のようなものかな。

reviewed by Spiegel on 2014-09-26 (powered by PA-APIv5)