ぼちぼち Mastodon への移住を進めようかと
Mastodon アカウントを復活させたときとは言い草がエラい違うな,という自覚はあるです。 きっかけは大きく2つ。
入院生活と Twitter
ひとつは先日の入院騒ぎ。
いや,入院中はホンマに暇なのよ。 身体がしんどいときは考える余裕もないけど,そういう状況が過ぎると「飯を食う」と「寝る」以外に殆どイベントがない入院生活は苦痛ですらある。 心臓リハビリとか暇つぶしとして嬉々としてやってたくらいだし。
一応,病室にはテレビがあって金を払えば見れるんだけど,金払ってまでテレビを見たいとは思わんぢゃん。 NHK 受信料すら払いたくないのに(同居者がテレビっ子なので払ってるけど)。 そうなると,必然的にネットに没入するしかないんだけど,パソコンを持ち込むわけにはいかないから,ネットを覗き見る窓はスマホしかないわけ。 しかも入れてるアプリも制限してるので,常時見てるのは Twitter と Mastodon くらい。
五十路過ぎたオッサンが暇を持て余して日がな一日スマホで Twitter TL を眺めている姿を想像してくれ。 そしてつくづく思った。
今の Twitter はテレビ並みにつまらない!
このままではテレビに向かってツッコミをいれる独居老人みたいになってしまうではないか! しかも実際に TL にツッコめる。 ヤバい匂いしかしない(笑)
「離脱の自由」
もうひとつのきっかけは Cory Doctorow による以下の記事:
- Pluralistic: Freedom of reach IS freedom of speech (10 Dec 2022) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
- Pluralistic: Better failure for social media (19 Dec 2022) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow
日本語訳もキレッキレで(4人部屋の病室なので一応は心の中で)爆笑しつつも脳を揺さぶられるような衝撃があった。 特に
は,マジで目からウロコだった。
もちろん Mastodon が最適解というわけではない。 Cory Doctorow は
と批判し,その上で Mastodon のメリットについて
と述べる。 そして
と言い放つ(この記述が一番ウケた)。 所属している Mastodon サーバの管理者が某マスク氏のように暗黒面に堕ちたとしても,私達には「離脱の自由」があるじゃないか!
ここまで読んで,はたと気がつく。
テレビ並みにつまらない Twitter に固執する必要なくね?
そして Mastodon へ
大勢のオーディエンスを人質に取られている有名人ならスイッチング・コストは高くつくだろうが,私のようなネットの辺境にいる人間は今の Twitter ソーシャルグラフを全部チャイして Mastodon に完全移行したとしても大して支障はない。 実際には「ちょうぜつエンジニアめもりーちゃん」とか楽しみにしている Twitter 連載もあるし,誤配されてくるツイートの中にも「おおっ!」と思うものもあるので(少なくとも当面は)全く見なくなるということはないだろうが,なにせ Twitter TL は(プロモーションツイートも含め)ノイズが多すぎる。 どっち側に軸足を置くかと言われれば,今後は Mastodon になっていくと思う。
というわけで,様子見の期間は終わったと思うので,来年からは Mastodon/Fediverse に軸足を移すべく色々とやっていきたいと思う。