プライバシー(権)が指し示すものは時代とともに変わる。
また「誰」からプライバシーを守るか,その対象も変わってきた。
インターネット上のプラットフォームを巨大企業が牛耳るようになれば,プライバシーの問題は「個人 vs. 市場」に発展する。
一方で市場は私達個人に大いなる恩恵をもたらしてくれる。
こうした恩恵とプライバシーはトレードオフにされているのだ。
このため「どこまで自身のプライバシー(に関する情報)を渡せばいいのか」という議論に流れがちである。
こうした「シフト」を漁獲量管理の問題に喩えたエッセイが公開されている。
これは Bruce Schneier と Barath Raghavan の共著のようだ。
今回はこのエッセイを少し真面目に読んでみようと思う。
とはいえ独断と偏見に塗れているので,誤読はご容赦(笑)
話の発端は,スピアフィッシング攻撃等の精度を高めるために生成 AI チャットボット・サービスを利用している国家支援のハッカー集団を発見しこれを排除したというニュースだ。
こうした「悪用」自体は予測可能なことではあるが,問題はどうやって件の「ハッカー」を見つけ出したか,だろう。
まぁ,そうだよな(笑) ただこれを「スパイ」行為と言っていいのかということについて疑問を呈す人もいる,当然ながら。
最初から ToS (Terms of Service) に書いてあるぢゃん,文句ゆーな! というわけだ。
本当に?
ここで先ほどの漁獲量管理の例が出てくる。
これってそのまま「シフティング・ベースライン症候群」って呼べばいいのかな。
「基準推移症候群」って訳してるところもあるみたいだけど。
まぁ,とりあえず前者で行こう。
Bruce Schneier & Barath Raghavan のエッセイでは,プライバシーにおいてもベースラインのシフトが起きていると指摘する。
ここで最初に挙げた「スパイ」の話に戻る。
生成 AI チャットボット・サービスを利用している殆どは善良なユーザで,そこで疚しい行動をしているわけではない。
疚しいことをしていないならプライバシー情報を吸い上げられたところで問題ないのではないか(ゼロ年代にそういう主張があったな)。
むしろ今回のようにサービスを「悪用」するハッカーを釣り上げられるんだからええぢゃん! という感じ。
でも,サービスがユーザの行動を監視し情報を吸い上げるのはユーザのためではない。
陰謀論的な言いがかりをするなら,プラットフォーマー(笑)は利便性やセキュリティを「人質」にとって,プライバシーのベースラインを意図的に引き下げてるんじゃないか,などとゲスの勘ぐりをしてしまう。
まぁ,本当にそうなら「シフティング・ベースライン症候群」なんてもんじゃないけどな。
話が逸れた。
意図せざるベースラインのシフトによる「崩壊(collapse)」を回避するにはどうすればいいか。
それはもう議論の焦点を変えるしかない。
プライバシーやセキュリティについて考える場合も同じ。
その時々の「ベースライン」で考えるのではなく,系全体を俯瞰する視点が必要だろう。
その上で,件のエッセイでは具体的な手段として「科学的情報に基づいた民主的な規制プロセス」が必要と主張する。
ところで「シフティング・ベースライン症候群」でググると色んなシチュエーションで使われているっぽいね。
でも検索結果を拾い読みしてみると,思い込みや認知の問題として扱ってるところが多いような。
「茹でガエル」を例に挙げてるところもあるみたいだし。
実際にはこれって生態系(ecosystem)におけるスコープの取り方の問題で,それを適切に扱わないと科学的な議論と言えど致命的な間違いをおかすよってことだと思うのだけど。
今回のプライバシーの話に引き付けて考えるのなら,最初に述べたように,オンラインプラットフォームにおいてプライバシーはセキュリティや利便性とのトレードオフの対象になることが多く,セキュリティや利便性のために「どこまで自身のプライバシー(に関する情報)を渡せばいいのか」という方向に流れがちだ。
その文脈で,その時々のプライバシーに対する「合理的な期待(reasonable expectation of privacy)」をベースラインとして議論する。
でもホンマにそんな議論の仕方でええのん? というのが今回のエッセイの核心なんじゃないかと思っている。
プライバシーは切り売りする商材ではなく,社会と個人の関係の中で「絶対に譲れないもの」があるという点が重要であり,個人が台頭する近代〜現代社会ならではの命題だ。
もちろん簡単ではない。
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参考図書
- はじめて学ぶ ビデオゲームの心理学 脳のはたらきとユーザー体験(UX)
- セリア ホデント (著), 山根 信二 (監修), 成田 啓行 (翻訳)
- 福村出版 2022-12-13
- 単行本(ソフトカバー)
- 4571210450 (ASIN), 9784571210457 (EAN), 4571210450 (ISBN)
- 評価
デジタル版が出そうもないので,諦めて紙の本を購入。ゲームデザイナやゲームエンジニアだけでなく,ソフトウェア・エンジニアは全員読むべき。あと,ゲーマーな人も読むといいよ。感想はこちら。
reviewed by Spiegel on 2023-04-09 (powered by PA-APIv5)
- つながりっぱなしの日常を生きる:ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの
- ダナ・ボイド (著), 野中 モモ (翻訳)
- 草思社 2014-10-09 (Release 2015-07-21)
- Kindle版
- B0125TZSZ0 (ASIN)
- 評価
読むのに1年半以上かかってしまった。ネット,特に SNS 上で自身のアイデンティティやプライバシーを保つにはどうすればいいか。豊富な事例を交えて考察する。
reviewed by Spiegel on 2016-05-10 (powered by PA-APIv5)