情報の「遠吠え」
今回はいつも以上に「戯れ言」モード。 最近つらつらと考えている(そして TL に断片的に書いている)ことを言語化してみる。
トリガーは以下の retweet.
以前に書いたかもしれないが,このブログの想定読者は「5年後の自分」である。 つまり私にとってブログ(weblog)とは文字通り作業ログの延長線上にあるわけだ。
その上で「満天下に公開しても差し障りのないもの」を書いているつもりである(時々はっちゃけて胡乱なことを書くのはご容赦)。 記事や写真に CC License を付与するのも「自由が云々」というのもあるが「満天下に公開」するための縛りプレイの側面が強い。
これはしょっちゅう書いていることだが
これに対抗できるのは「他者の想像」しかない。
「他者の想像」の誤配によって生まれる sense of wonder こそが「想像力の地平線」を越える鍵となる。
上述の tweet で言う targeted serendipity
についても,個人的にはそういう風に解釈している。
一方で,現在の SNS を含む多くのコミュニケーション・サービスが Time-Line 方式のユーザ・インタフェースを実装している。
TL の利点はリアルタイムの情報をすばやく摂取できることにあるが,その反面,過去情報の検索性がすこぶる悪い。 その結果なにが起こるかというと,同じまたは似たような情報が何度も繰り返し TL に登場する。 それも(大抵は)見る側が制御できない形でだ。 ゼロ年代に流行った Tumblr の reblog のようにネタとして回しているうちは「面白い!」で済んでいたのだが…
TL サービスを提供するプロバイダは,こうした情報の連呼を機能として積極的に取り込み,むしろ「トレンド」や「おすすめ」や「広告」といった形で強化している。 もはや TL は時系列ですらなく「ドキッ! 広告だらけのメディア,ポロリもあるよ」と化している(笑)
更に悪いことに,情報の連呼はひとつのメディアに留まらず,複数のメディアを渡り歩き,増幅されて回(かえ)ってくる。 私はこれを「情報ハウリング」と呼んでいる。
SNS を含む多くのコミュニケーション・サービスが「情報ハウリング」を生み出す温床となっているのなら,そうしたサービスから一定の距離を置くのが賢い選択と言えるだろう。 私はメディアに洗脳されたくない。
ところで,「ハウリング(howling)」は元々「遠吠え」という意味だが, howling
で軽くググったら以下の記事を見つけた。
この記事によると
とか書かれていて「これって今 SNS で起こってることと同じなんじゃね?」と思ってしまった。
つまり「情報の遠吠え」がもたらすのはコミュニティの構成員を選別する「包摂と排除」であって,そこでは「想像力の地平線」を乗り越える sense of wonder
も,ましてや targeted serendipity
も起こる筈がないのだ。
言い換えるなら TL サービスというのは「多文化主義的エポケー」を体現した装置と言えるだろう。 まさにリベラル寄りの IT 系企業が好みそうな実装である(笑)
ブックマーク
参考図書
- 排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異
- ジョック ヤング (著), Young,Jock (原著), 秀男, 青木 (翻訳), 泰郎, 伊藤 (翻訳), 政彦, 岸 (翻訳), 真保呂, 村澤 (翻訳)
- 洛北出版 2007-03-01
- 単行本
- 4903127044 (ASIN), 9784903127040 (EAN), 4903127044 (ISBN)
- 評価
- つながりっぱなしの日常を生きる:ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの
- ダナ・ボイド (著), 野中 モモ (翻訳)
- 草思社 2014-10-09 (Release 2015-07-21)
- Kindle版
- B0125TZSZ0 (ASIN)
- 評価
読むのに1年半以上かかってしまった。ネット,特に SNS 上で自身のアイデンティティやプライバシーを保つにはどうすればいいか。豊富な事例を交えて考察する。
- リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 井上達夫の法哲学入門
- 井上 達夫 (著)
- 毎日新聞出版 2015-07-05 (Release 2015-07-17)
- Kindle版
- B011KRIYVS (ASIN)
- 評価
ちゃんとした書評は yomoyomo さんの記事が参考になる。私は途中まで読んで放り投げた。反省はしない(笑)